イタリア北部の観光地ボルツァーノ市は、糞の放置に業を煮やして、犬連れの観光客には観光税(1日1.5ユーロ・約260円)を、地元住民には飼い犬1頭につき年間100ユーロの犬税を、それぞれ課して、道路の清掃や犬専用の公園新設の費用に充てるそうだ。
さらに、飼い主の負担で犬のDNA登録を義務付け、放置された糞のDNAを解析して罰金(違反1回につき最大600ユーロ)を徴収するという。市役所の怒りが感じられるではないか。
この記事を読んで思い出した。2014年、大阪府泉佐野市が、犬の糞放置対策として、犬一頭につき年間2000円の犬税を課し、啓発活動や糞の処理の費用に充てようとしたことがある。
狂犬病予防法に基づく登録した犬を対象に制度設計したのだが、実際には登録していない犬が多いことが判明し、税の公平性が図れないし、徴税経費そのものが市の大きな負担となる可能性があることから、犬税導入を断念した。
再び目を世界に転ずると、無責任に犬を飼わないようにするとともに、犬の頭数を間接的に制限するために、ドイツ、オランダ、オーストリアなどでは、多くの自治体が犬税を導入している。自治体ごとに金額が異なるが、だいたい一頭当たり1万円から2万円程度の税金がかかる。
よく知られているように、昔は、日本にも犬税があった。昭和50年代まで、市町村の法定外普通税として、犬税があった。
そもそも明治時代から府県税として犬税があり、府県ごとに課税方法が異なっていたそうで、この点に関する国税庁のクイズがあるので、考えてみるのも一興だ。
かつてあった日本の犬税は、貧しい時代に犬を飼うのは贅沢だから、お金のある人から税を徴収しようといういわば「贅沢税」だったわけだ。
このように目的は異なれど、いずれの国にも犬税を課そうとする傾向があるわけだが、この発想自体が左翼的・設計主義的で、うんざりする。
権力的手法は、自由を制限するものであるから、できる限り謙抑的であるべきだ。他人様にご迷惑をおかけしないようにしようというモラルの向上を図って、糞を放置することが悪いことだ、恥ずかしいことだという認識を抱かせるようにするのが一番良い。
実際、昔に比べれば、犬の飼い主のモラルが向上し、少なくとも私が住んでいる地域では糞の放置をする飼い主はいないように思われる。
他の飼い主が犬の糞を取って、ペットボトルの水で跡を流しているのを見れば、自分もそうせざるを得なくなっただけだろうが、それでも自発的に糞を処理する方が課税よりも自由保障の観点からは望ましいのだ。
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