また、ブログが消された。よほど都合が悪いのだろう。正当な評論・批判すら消されるとは。。。
田嶋陽子氏は、「『妻』という言葉は変な言葉だ。妻は刺身のツマで、何かの端っこみたい。人間の相手を妻と呼ぶのは失礼」、「今はパートナーと呼ぶ。英語を使わなければならないのは日本語にないからだ。『同伴者』や『連れ合い』も変だ。『妻』は簡潔な表現が日本にはなく、性別役割分業で女は2級市民にされている。それをそのまま法律でも『妻』としているのは失礼だ。ちゃんと言葉作れよと」「協力者として立派な活動をしているのに、『妻』でガクンと下げられた感じがとても頭にきた。非常に腹立たしい」とご高説を述べられたそうだ。
「つま(妻)」の「つ」は、「付き合う」・「連れ合い」・「対(つひ)」の「つ」で、「一緒になる」・「向かい合う」・「二人一組」・「ペア」という意味だ。
「つま(妻)」の「ま」は、「み(身)」が転じたものだ。
専門家も「ツレミ(連身)の略転〔大言海〕。ツはツラ(連)の語幹、マはミ(身)の転〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。ツは連・番などのツ、マは左右に二つ並ぶものの義〔日本語源=賀茂百樹〕。」と述べている。
それ故、本来、「つま」は、「配偶者」という意味であって、妻だけでなく夫にも用いたのだ。
日本人なら『古事記』ぐらい読んだらどうか。
ex.1妻から見た夫を指す場合
吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男は無し 汝を除て 都麻(つま)は無し(『古事記』上・歌謡)
ex.2夫から見た妻を指す場合
八千矛の 神の命は 八島国 都麻(つま)枕(ま)きかねて(『古事記』上・歌謡)
では、元々「つま」は、「配偶者」という意味で男女を問わずに用いたのに、なぜ、女性の配偶者のみを指すようになったのか。
夫が妻の家へ通う妻問婚(つまどいこん)の風習が平安時代まで残っていて、妻の両親は、結婚した娘のために母屋の端に新たに建物を建ててやり、夫は、その建物へ通った。若い夫婦がすることは一つなので、気を使わぬように別棟を建てたわけだ。
その結果、「つま(妻)」が住む建物のことを「つまや(妻屋)」と呼ぶようになり、やがて女性の配偶者のことをもっぱら「つま(妻)」と呼ぶようになったのだ。
建物の端も「つま」と呼ばれ、後代に刺身の端に刺身と一対(いっつい)となって添えられる野菜等も「ツマ(端・褄)」と呼ばれるようになった。
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)によれば、「古代における妻の他の時代と異なる大きな特徴は,夫とは別に自己の特有の財産を所有し,かつそれを自分の意志で自由に処分,運営できた点であった。女性による土地の売却や買集めを示す当時の文書がそのことを有力に物語る。そして,このような自己の所有を基礎とする当時の妻の地位は夫と対等で,妻は夫と同等に農業経営にかかわり,みずからの意志で離婚でき,娘の婚姻の決定にも夫より強く関与していた。」とある。
中世における妻について、同書によれば、「《御成敗式目》の11条には,妻がその里方から相伝した所領について,次のような規定が見えていた。すなわち,その夫になんらかの罪科があって所領の没収を受けるとき,妻妾の所領も同様な扱いを受けるかどうかという問題について,もし夫の起こした犯罪が,〈謀叛殺害幷山賊海賊夜討強盗等〉の重科であるときには,夫と同罪に扱われるが,夫の犯罪が軽罪のときには,妻の所領は没収されることはない,というのであった。とするならば,この規定から,妻の所領が夫からある程度独立した存在であったことが知られるであろう。」とある。
このように「妻」は、「2級市民」ではなく、夫から社会的にも経済的に独立した地位を有していた由緒ある言葉なのだ。
同じ漢字を用いても、支那(シナ。chinaの地理的呼称)における「妻」とは全く違うのだ。
進歩史観・階級闘争史観という色眼鏡でしか歴史を見ることができない連中には困ったものだ。
0コメント