地方公共団体の職員研修に出講して大変驚いたことがある。受講しておられる職員さんの多くが意外なことに「福祉」の意味をご存知ないのだ。これは困る〜〜!
なぜならば、地方自治法第1条の2第1項は、「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。」と定め、地方公共団体の役割が「住民の福祉の増進を図ること」にあると明記しているからだ。
そこで、最近では、「『住民の福祉』にいう『福祉』とは何ですか?」と質問を投げかけるようにしている。
「福祉」とは何かと訊くと、生活保護、子育て・高齢者・障害者支援など、いわゆる社会的・経済的弱者の支援を連想しがちのようだが、このような公的支援という意味は、現代的用法にすぎない。「福祉」は、公的支援にとどまるものではなく、もっと広く「幸せ」を意味する。
憲法第13条後段は、国民の幸福追求権を保障しているから、何が幸せなのかは、個々の住民が追求すべきものだが、地方公共団体の役割は、住民の幸せな生活づくりのお手伝いをすることにあるのだ。
道路、公園、上下水道等のインフラを整備することも、ゴミの収集や自然環境の保全も、教育も、それらの財源を確保するための税の徴収も、全て住民の幸せな生活づくりのお手伝いであって、職員さんは大変尊いお仕事をしておられるわけだ。
そもそも「福祉」は、ドイツ語Wohlfahrt(ヴォルファート)の訳だそうだ(英語Welfareに相当する。)。
「このことばは、16世紀ごろwohlとfahrenとが結び付いて慣用的に使われ始めたものである。wohlは、願う、望むという意味の動詞wollenの語基が副詞化したもので、英語のwellにあたる。fahrenは、一つの場所から他の場所に移るという意味の動詞である。この二つの単語が結び付いた結果としてのWohlfahrtは、望ましい状態に変えるという内容をもつことになった。そうして、このことばには、人間の生活の理想状態という意味と、その状態に向かう営み、活動という意味とがある。」(日本大百科全書(ニッポニカ))
しかし、16世紀ごろに誕生したWohlfahrtよりも、その訳語として用いられた漢語「福祉」の方が遥かに古い。
『漢語林』(大修館書店)によると、「福祉」という言葉は、前漢(紀元前202年〜紀元後8年)の韓嬰(かんえい)が著した『韓詩外伝』(『詩経』の解説書)の巻三に出てくる熟語で、「さいわい、しあわせ、幸福」の意味だ。
「福(フク)」は「神に捧げる酒壷、<福のつくり=畐(フク)=酒壷>」に由来し、神に酒をささげ、酒だるのように豊かに満ち足りてしあわせになることを祈るさま」を意味し、「祉(シ)」は「神が止(とど)まるところにいることのしあわせ」を意味するそうだ。
ネットで『韓詩外伝』の巻三を探したら、早稲田大学にPDFがあった。おそらく「福祉歸乎王公」という文章がそれであろう(「福祉王公に帰(き)すかな」。読み下し文:久保。)。
我が国においても、宝覚真空禅師録(1346)の例から、少なくとも14世紀から「幸福。さいわい。」という意味で「福祉」が使われていたようだ。
すなわち、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によると、「ふく‐し【福祉】 〘名〙 (「し」は「祉」の慣用音) 幸福。さいわい。現代では、特に、公的配慮による、社会の成員の物的・経済的な充足をいう。
※宝覚真空禅師録(1346)乾・山城州西山西禅寺語録「奉レ為建三寺檀那雲岩禅門、用増二福祉一」
※厚生新編(1811‐39)七「皆人類万物の霊長をして健康無恙の福祉(フクシ)を得てその天年を終らしめんがためのみ」 〔易林‐履之〕」とある。
このように公的支援という「福祉」の用法は、現代的用法であって、「福祉」の原義は、「幸福。さいわい。」なのだ。
職員さんたちには、住民の幸せな生活づくりのお手伝いという尊いお仕事をしているのだという誇りを持って、職務に励んでほしいと思う。
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