「廨」という字は、日常生活で滅多にお目にかかることがない。現行の国の法令にも、「廨」はない。ただし、日本法令索引で「廨」を検索したら、廃止法令には、「廨」(正確には「官廨(かんかい)」(役所、官庁の意味。)を用いたものが6つあった。
ところが、自治体、特に県庁ではよく用いられている。条例Webアーカイブデータベースで「廨」を検索すると、47都道府県のうち、25都道府県が「廨」を用いていた。もちろん、市町村の中にも、大阪府八尾(やお)市や豊能(とよの)町のように、「廨」を用いているところがある。
また、「廨」という字は、常用漢字表にないので、兵庫県・福島県・和歌山県・山梨県・千葉県のように、「かい」と表記している自治体もある(初めて見た時は、「なんじゃこりゃ?廨のこと?」と思った。)。
「廨」は、呉音では「ケ」、漢音では「カイ」で、訓読みすれば、「やくしょ」だ。
俳優の役所広司(本名:橋本広司)氏は、元千代田区役所職員だが、もし都道府県庁職員だったら、「廨広司」という芸名を用いていたかも知れない。笑
厄介なのは、「廨」の意味だ。日常用語では、役所という意味なのだが、例規ではそのような意味では用いられていないからだ。しかも、手元にある法律用語辞典には、「廨」が載っていない。
例規で日常用語と異なる意味で用いる場合には、定義規定を置かなければならないのだが、例規に定義規定が置かれていなかったり、定義規定が置かれていても、別表に機関名を列挙しているだけのものも多く、部外者が一読しても意味を把握しにくいものが多い。
定義規定を置いている県庁の中で、比較的その意味を明らかにしようと努力しているのは、徳島県だ。
cf.1徳島県会計規則 (昭和三十九年四月一日 徳島県規則第二十三号)
(定義)
第二条 この規則において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 歳入徴収権者 知事又はその委任を受けて、歳入を調定し、納入義務者に納入の通知及び会計管理者、廨かい出納員又は税務出納員(以下「出納機関」という。)に収入の通知を行う権限を有する者をいう。
二 支出負担行為権者 知事又はその委任を受けて支出負担行為をする権限を有する者をいう。
三 支出命令権者 知事又はその委任を受けて、歳出の支出を決定し、出納機関に支出命令をする権限を有する者をいう。
四 物品管理権者 知事又はその委任を受けて、物品を管理し、物品出納員に物品の出納保管の通知を行う権限を有する者をいう。
四の二 債権管理権者 知事又はその委任を受けて債権を管理する権限を有する者をいう。
五 廨かい 一号廨かい及び二号廨かいをいう。
六 一号廨かい 歳入を徴収し、歳出予算の令達を受けてこれを執行し、その所管に属する物品を管理するとともに、当該廨かい及びその所管する二号廨かいの会計事務を行う徳島県総合県民局(以下「総合県民局」という。)及び本部で、別表第一に掲げるものをいう。
七 二号廨かい 歳入を徴収し、歳出予算の令達を受けてこれを執行し、その所管に属する物品を管理する徳島県東部県税局、徳島県東部保健福祉局、徳島県東部農林水産局及び徳島県東部県土整備局(以下「東部各局」という。)、センター等(徳島県行政組織規則(昭和四十二年徳島県規則第十五号)第四条第三号に規定するセンター等をいう。)、徳島県教育委員会の所管に属する教育機関並びに警察署で、別表第二に掲げるものをいう。
(以下、省略:久保)
『新自治用語辞典』(ぎょうせい)43頁によると、 廨は、「通常、地方公共団体の出先機関のうち、当該団体の財務規則等に基づき出納その他の会計事務をつかさどることのできる機関として指定されたものをいう。」とされている。
要するに、会計事務を自ら執り行う出先機関を「廨」というわけだ。その出先機関の長を「廨長(カイチョウ)」と呼ぶことが多い。
ただし、東京弁護士会自治体等法務研究部の「自治体法務Q&A」は、もっと狭く「地方公共団体の出先機関で出納事務を扱うものを指す」と述べている。
私としては、同じ「カイ」でも、「隗(カイ)より始めよ」(中国の戦国時代、郭隗(かく かい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私(隗)を重く用いよ、さすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたことから転じて、大事をなすには手近なことから始めよ、さらに転じて、言い出した者から始めよという意味になった。)で、ぜひ職員研修講師に凡庸な私を招くことから始めて欲しいものだ。笑
<追記>
教え子から、なぜ会計事務を自ら執行する出先機関のことを「廨」と呼ぶのですか?という質問があった。
勉強不足ではっきりしたことは分からない。しかし、「公廨(クガイ)」(役所の建物のことで、転じて、公の物という意味になり、さらに転じて、役人の給与の意味になった。)という用語に関して、支那法制史がご専門で東大名誉教授の滋賀秀三氏が、下記のように述べていること(『奥村郁三「唐代公廨の法と制度」(法學雜誌九卷三號)』の書評)がヒントになるのではないか。
「公廨という文字には根柢にofficeという意味がある。これを基本語義として、或ときはoffice buildingの意味に傾斜し、或ときはoffice expensesの意味に傾斜し、かくて樣々な語義が派生して行くのだ、と見ることができないであろうか。古來中國において、各官署の經常的運營費は、狹義の事務費のほか下級職員の人件費まで含めて、これを國家の豫算には計上せず、各官署の自辨に委ねる建前であつた。後世たとえば清朝においては、事あるごとに關係人民から取立てる手數料たる陋規(および公明化された陋規ともいうべき養廉銀)によつてそれは賄われていた。唐代の各官署が下級職員として流外官なるポストをもつていたことは、もつばら胥吏衙役に依存する後世の官署のあり方と面目を異にする點であり、それに對應して、陋規も未だ後世のように一般化しておらず、そもそも陋規という言葉もまだ生じていなかつた。そこでは、各官署ごとになにがしかの基本財産をもつた特別會計を設定し、その會計の收入をもつて獨立採算的に官署の經常費を賄わせる方法がとられていた。この特別會計が著者の着目した「公廨」であり、その基本財産として土地が割當てられればそれが公廨田、運轉して利潤を擧ぐべく金錢が投入されればそれが公廨本錢に外ならないのではなかろうか。「公廨」を「財産權の主體(一つの機關)」と見たのは著者の考え過ぎではないか。公廨物の權利主體は基本的にはやはり國家すなわち官であり(律も公廨物を廣い意味での官物の一種として扱つている―廐庫律第二八條官物應入私)、直接的にはその獨立採算的運營を委ねられた各官署(その責任者として各長官)であつて、その外に「公廨」という名の權利主體があるわけではない。捉錢令史は官署内における係員たるに過ぎず、法人の理事のごとき存在ではない。「公廨」の組織が官制に現われないのはあまりにも當然であり、また「公廨」がたてものを持つ筈がない公廨のたてものといえば官署のたてもの自體に外ならない―ことも頷かれるであろう。官戸と公廨戸の關係も、良賤身分上の名稱としてはどちらも官戸でありながら、國家の一般會計にではなしに(一般會計に屬する官戸は司農が職掌としてこれを管理する)、各官署の内部需要を充たすべく公廨會計に入れられた官戸が公廨戸と呼ばれかつそれとして處遇されるのだ、と理解してよいのではなかろうか。思いつくままを記して著者はじめ大方の批判を仰ぎたい。」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalha1951/1965/15/1965_15_234/_pdf
つまり、昔の支那では、各官署の経常的運営費(事務費や人件費)は、国家予算に計上せずに、各官署が土地などの財産に基づく特別会計を設置して独立採算で賄(まかな)っていた。これを「公廨」という。
そこで、支那の律令制に詳しい職員さんが、「公廨」のように特別会計を設置するわけではないが、本庁から独立して、会計事務を自ら執行する出先機関を一言で言い表す用語として、「廨」という字を借用したのではないかと思うのだが、如何だろうか。
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