自然人

 昨日は、某市役所の民法研修に出講した。6時間(トイレ休息を含む。)で民法全般を講義しなければならず、ヘトヘトになった。

 講義時間との関係で、お話できなかった自然人に関する余談を書いておこう。


 自然人とは、法人に対する概念であって、生きている人間をいう。自然人は、出生から死亡に至るまで、権利義務の主体となり得る能力(権利能力)が認められている。


 学生時代に、この「自然人」という法学用語を初めて目にした時に連想したのは、ジャングルで動物たちと暮らす「ターザン」だった。笑

 というのは、「自然人」という言葉には、「未開人、または、社会の因習などに毒されていない、自然のままの人間」という意味があるからだ(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。

 そのため、「自然人」が法人の反対概念だと言われてもピンと来なかった。


 しかし、英語で見たら、腑に落ちた。


 「法人」は、juridical personの訳だ。「法律上の人」、つまり「法律上人として扱われる者(団体)」という意味だ。


 これに対して、「自然人」は、natural personの訳だ。英語の試験で「自然人」と直訳した場合に、果たして点を貰えるのか、甚だ怪しい。私なりに翻訳すれば、「生まれながらの人」だ。


 この「自然人」は、天賦人権論を背景としている。天賦人権論とは、人間は、生まれながらに自由・平等であって、それはア・プリオリ(ラテン語a priori:先験的)な権利だと考える思想をいう。天賦人権論は、英語ではtheory of natural human rightsだ。直訳すれば、「生まれながらの人間の権利の理論」となる。

 この天賦人権論に従えば、すべての人は、動物や奴隷ではなく、生まれながらに「人」であり、すべての「生まれながらの人」には、権利義務の主体となり得る能力(権利能力)が平等に認められることになる(権利能力平等の原則)。

 

 このように考えると、「自然人」は、「しぜんじん」と読むよりも、「じねんじん」と読む方がnatural personに近いように思えるのだ。


 すなわち、平安時代から「自然」は、二通りの読み方が行われてきた。


 「しぜん」(漢音)と読めば、「山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象」を意味する(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。

 つまり、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるものを意味し、西洋において人間と対置されるnatureに類似している。

 それ故、幕末明治の人は、natureの翻訳語として「自然(しぜん)」を当てたのだろう。


 これに対して、「じねん」(呉音)と読めば、仏教用語で「すこしも人為の加わらないこと。天然のままであること。」「おのずからそうであること。本来そうであること。」を意味する(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。

 自(おのずか)ら然(しから)しむと訓ずるわけだ。

 

 この点、中世以前では、「ひとりでに、おのずから」の意のときは「じねん」とよむことがふつうで、「万一、ひょっとしたら」の意のときは「しぜん」と読みわけていたそうだ(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。


 そうすると、法人は、人為的に作られた人であるのに対して、自然人は、人為によらずにおのずからそうである人だから、自然人を「じねんじん」と読む方がnatural person「生まれながらの人」に近いと思うのだ。


 すっかり定着してしまった「しぜんじん」という読み方を今更変えることはできないし、変えるつもりもないけれども、学生時代に、こんな風に素朴な疑問から出発して言葉の意味を探ったら、より深く理解することができたように思えるので、受講者の皆さんも、素朴な疑問を大切にしていただけたらと思う。






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