「時効」とは、「ある事実上の状態が一定期間継続した場合に、真実の権利関係にかかわらず、その継続してきた事実関係を尊重して、これに法律効果を与え、権利の取得又は消滅の効果を生じさせる制度」をいう(内閣法制局法令用語研究会編『有斐閣法律用語辞典』)。
長く続く事実状態をそのままにしておく方が社会秩序を維持する上で妥当であると同時に、時が経てば争いある法律関係を明確にする証拠がなくなることが多く、さらにまた権利を有しながら長い期間これを行使しない者は、権利の上に眠れる者だから、保護に値しない。
そこで、「時効」が認められている。
この「時効」は、prescriptionの翻訳語なのだが、そもそもなぜprescriptionが「時効」を意味するのだろうか。
「pre-」は「前もって」という意味であり、「scribe」は「書く」という意味だから、prescriptionは、「前もって書くもの」というのが本来の意味だ。
そこで、通常、prescriptionは、あらかじめ命令する「命令書」、あらかじめ定められた「規定」、薬剤師が薬を調剤する前に医師が薬の処方を指示する「処方箋」という意味で用いられている。
これらは、語源通りで分かりやすい。
ところが、英語やフランス語の辞書を見ても、prescription「前もって書くもの」が「時効」を意味する理由がさっぱり分からない。
「そんなことに悩むのは、お前だけだ!」と笑われるかも知れないが、気になるのだから、仕方ない。
仕事がひと段落ついたので、調べてみた。
古代ローマの民事訴訟制度であるiudicium per formulas方式書訴訟に由来することを知ったときは、「なんだ、そういうことだったのか」と拍子抜けした。
方式書訴訟は、次の二段階の手続から成っていた。
①praetor法務官の面前でのin iure法廷手続
②judex審判人の面前でのaqud iudicem審判人手続
まず、①原告(弁護人として法学者を伴う。)から訴えがあると、法務官は、管轄権や原告の訴訟能力を調査し、その訴えを法に照らして(法務官は、民会から選出されたmagistratus政務官の一種で、法に詳しいとは限らないため、法学者の助言を得る。)、訴訟を開始するかどうかを決定する。
訴訟を開始することができる場合、すなわちactio訴権が存在する場合には、法務官は、事実認定を審判人に命ずるformulas方式書を作成する。
法務官に訴権を認めさせることは、ハードルが高く、訴権が認められない場合には、門前払いされることになる。
次に、訴権が認められると、②審判人手続が開始される。審判人は、アメリカの陪審員に似たもので、民間人から選定された。
審判人は、原告被告双方の陳述を聞き、 証拠資料を調査し、事実認定を行う。この審判人の判断は終局判決であり、上訴は認められなかった。
さて、トラブルになっている物件が原告の所有物であるとしても、被告が一定期間これを占有している場合には、被告の所有になるとして、法務官は、方式書の冒頭に「裁判するに及ばず」と記載したそうだ(岸本辰雄『仏国民法講義 時効篇』明治法律学校講法会・明治23年を参照)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/792264/1/5
つまり、時効の場合には、方式書の冒頭に「裁判するに及ばず」と前もって書かれたので、prescription「前もって書くもの」が「時効」を意味するようになったわけだ。
これも語源通りだったのだ。
明治の人は偉いなぁ〜。明治の人は、prescriptionが「時効」を意味する理由をちゃんと知っていたというのに、昭和生まれの私が知らなかったなんて恥ずかしい。
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