パクリ

 先ほど、テレビをつけたら、ペンギンの巣作りの様子が映し出されていた。あるペンギンAは、真面目に一個一個小石をくわえて巣に運んでいる。

 隣の巣のペンギンBは、Aの巣から小石を盗んで、自分の巣に入れていた。Aは、自分の巣の小石がいっこうに増えないことを不思議そうに思って、チラッと隣の巣のBを見たら、Bは、目線を逸らして、知らぬふり。

 Aが再び小石拾いに行こうとして、Bに背を向けた瞬間、Aが振り返ると、BがAの巣から小石を盗もうとしていた。

 Aは、怒ってBをくちばしで突こうとし、Bも盗みが悪いことを知っているのか、抵抗せずに逃げ回っていた。


 このように他人の物やアイデアなどを盗むという意味の「パクリ」は、大口を開けて一口でパクリと飲み込むことに由来するらしい。

 戦前、泥棒を捕まえたら、「朴(パク)」と「李(リ)」ばかりだったことに由来するという説は、どうやら俗説のようだ。

 

 しかし、このような俗説が信憑性をもって世間に流布するには、それなりの理由がある。例えば、たまたま下記のサイトを発見して、驚愕した。

 パクリは、先人たちの努力、創意工夫及び情熱を踏み躙(にじ)り、成果を奪う人倫に悖(もと)る行為だ。

 ペンギンですら、パクリがいけないと知っているのに、恬(てん)として恥じることがない。そもそも「恥」という概念が朝鮮(Koreaの地理的呼称)にはないので、当然なのだが。

 しかも、なんでもかんでも韓国が起源・オリジナルだ、と見え透いた嘘をつくので、空いた口が塞がらない。


 2014年4月24日、ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコは、韓国の大型旅客船セウォル号の沈没事故に関連して、「韓国国民がこのセウォル号の悲劇を道徳的(倫理的)、霊的(精神的)に生まれ変わるための機会としてとらえることを望む」と述べた。

 我が国では「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言われているように、死ねば馬鹿が治るのだが、教皇フランシスコは、「韓国民は死んでも治らないから、霊的に生まれ変われ!」と言っているわけで、かなり強烈だ。

 しかも、輪廻転生を認める仏教とは異なり、キリスト教では生まれ変わりが認められていないので、そもそも霊的に生まれ変わること自体が不可能だから、教皇フランシスコの皮肉は、ウルトラ級なのだが、韓国民は、この皮肉が理解できず、哀悼の言葉だと誤解したようだ。

 ローマ教皇といえども人の子。韓国民に対して、よほど腹に据えかねることがあったのだろう。※

※  ローマ教皇フランシスコが怒ったのは、ひょっとしたら、下記の記事にある「イエス・キリストは韓国人」だと起源を主張したことにあるのかも知れない。


 それにしても、上記のサイト運営者は、よくもまあ〜これだけ証拠を集めたものだと感心する。


 本来、このような仕事は、「著作者の権利、出版権及び著作隣接権の保護及び利用に関すること」を所掌事務とする文科省(文部科学省設置法第4条第84号)等の関係行政機関がやるべきであって、職務怠慢の誹(そし)りを免れない。

 政府は、このサイト運営者の協力を得て、韓国政府に対して、厳重に抗議するとともに、世界中に訴えるべきだ。


 ビザなし渡航なんてもってのほかであって、外交ルートだけ開けておいて、一切関係を断つべきだ。自治体も姉妹都市を解消すべきだ。

 「左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。」という福澤諭吉先生の教えに従うべきだ。






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