学生時代、刑法総論の講義で、先生が「ラスコーリニコフが〜」と譬(たと)え話をなさった。私や友人たちは、興味深く拝聴したのだが、周りを見回すと、うんうんと頷いている学生は、意外と少なかった。高校までにドストエフスキーの『罪と罰』(新潮文庫)を読んだ学生が少なかったからだ。

 話が通じなかった先生は、呆れるとともに、軽いショックを受けておられ、お気の毒だった。

 

 さて、この「罰」という漢字は、「詈(り)(しかる)と、刀(かたな)とから成り、刀でおどしながらしかる、「とがめる」意を表す」(『角川新字源 改訂新版』角川書店)。


 「罰」の音読みには、「バツ」と「バチ」がある。

 両者の使い分けについては、「悪行や罪のつぐないとして科されるものを「ばつ」神仏によって与えられるこらしめを「ばち」と区別するが、ともに「罰」の字音。」とある(『精選版 日本国語大辞典』小学館)。


 ところが、「罰」には、訓読みがないのだ!

「罪」(ザイ)には、「つみ」という訓読みがあるのに、なぜ、「罰」(バツ、バチ)には、訓読みがないのだろうか。


 専門家ではないので、間違っているかもしれないが、「罰」に相当する大和言葉・概念がなかったからだとしか考えられない。


 この点、宗教学者で、国際日本文化研究センター名誉教授・国立歴史民俗博物館名誉教授山折哲雄氏は、次のように述べている(『改訂新版 世界大百科事典』平凡社)。


 「日本では,古く〈つみ〉を犯した者は〈はらい(祓)〉によって〈けがれ〉を浄(きよなければならないと考えられた。〈はらい〉の方法には水浴や,爪髪を切り捨てることのほかに,臼や太刀などを神前に供えて神の怒りを和らげその赦しをこう方法などがあった。

 しかしのちに仏教が伝えられ,とりわけその因果応報の思想が民間に浸透すると,現実の不幸や災害や病気が人々の何らかの行為による結果ではないかと疑われるようになり,やがてそれを〈神罰〉であり〈仏罰〉であるとする観念が発生したが,神や仏の怒り,祟り(たたり)による報いとして意識されるようになったといえるであろう。

 そしてその観念が儒教の説く天の思想と結びつくと,〈天罰〉という考え方が生じた

 日本の刑罰に対する考えは,一方で唐律のそれにもとづき,また儒教思想の影響をうけて発達したが,しかし人知を超える天災や社会的な異変が発生した場合には,それを超越的な存在による〈たたり〉の現象として受けとり,神罰や仏罰として恐れた。

 今日の新宗教の多くが,病気や不幸の多くを神仏や先祖霊による〈ばち〉と受けとり,その解除のために神仏への祭祀と先祖供養を重視しているのも,以上のべた心意伝承にもとづいているといえよう。」


 「日本には古来,人間による悪行とともに穢(けが)れ禍(わざわい)などをも含めた神道的な罪の観念があった。

 すなわち農耕を妨害して神祭りを冒瀆する天津罪(あまつつみ社会秩序を破壊する国津罪(くにつつみは前者の悪行に属するが(天津罪・国津罪),同時に死や病気,けがや出産の穢れ,天変地異など人間生活を脅かすものも罪であるとし,それらを除去して正常な状態にひきもどすためいろいろな祓(はらい)や禊(みそぎ)が必要であるとされた。

 日本の場合,罪は祓や禊によって容易に除去されるという意識が強く働くため,先の浄土教的な罪業意識は深くは浸透しなかったといえよう。

 かつてアメリカの人類学者R.ベネディクトは,その著《菊と刀》において日本の文化を欧米の〈罪の文化〉に対して〈恥の文化〉であると規定したが,日本文化に罪の意識が希薄であることを指摘したものとして注目される。」(下線・太字:久保)


 インド・支那・中東・西洋とは異なり、先史時代から仏教伝来まで、あまりにも長きにわたって、我々日本人は、「罰」の概念がない世界で生きてきた稀有な民族だといえる。けがれ(穢れ)及びわざわい(禍い)並びにはじ(恥)を恐れて生きてきたのだ。

 仏教や儒教の思想が伝来して、「バツ」と「バチ」が使い分けられるようになったにもかかわらず、現代に至るまで終(つい)ぞ「罰」の訓読みが生まれなかったことがこれを物語っている。


 誤解のないように付言するが、古来、日本では、つみ(罪)をとが(咎)めなかったわけではない。つみ(罪)をおかし、生き恥を曝(さら)すことを恐れて生きてきたのだ。

 この意味で、ルース・ベネディクトは、欧米の「罪の文化」と日本の「恥の文化」を対比するのではなく、欧米の「罰の文化」と日本の「恥の文化」を対比すべきだった。

 

 ところで、従来、我が国の自由刑には、「拘留」以外に、刑務作業が義務付けられる「懲役」と義務付けられない「禁錮」があり(刑法第9条)、受刑者のほとんどが懲役刑だった。 

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(ヘブライズム)では、労働が罰であるが故に、西洋では強制労働をさせる懲役刑にある程度効き目があったのかもしれないが、そもそも罰の概念がなかった日本では、懲役刑は効き目がなく、再犯率が高かった。


 そこで、令和4年の改正刑法が今年6月1日に施行され、従来の懲役刑と禁錮刑が廃止され、「拘禁刑」に一本化された。

 拘禁刑の受刑者一人ひとりの特性に応じた手厚い更生プログラムを提供し、社会復帰を促進するそうだが、けがれ(穢れ)を祓(はら)わず、みそぎ(禊)をせずに、はじ(恥)知らずのままでは犯罪を繰り返す可能性が高い。

 刑務所内で希望しない受刑者にお祓い・禊をすることは、現行憲法の解釈上難しいので、せめてはじ(恥)をしっかりと教え込んでほしいものだ。



 



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