蘇る亡霊<追記あり>

 検察官の定年延長問題については、すでに愚見述べた。

 5月15日、ロッキード事件の捜査経験者ら14人の検察OBが連名で政府の判断で検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案に反対する意見書を法務省に提出した。意見書の全文は、朝日新聞に載っている。

 当該意見書には、「かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。」とある。


 「ロッキード世代」なんて表現を初めて知ったが、当時一喜一憂していた国民の一人である私は「ロッキード世代」ということになるらしい(苦笑)。


 当該意見書は、ロッキード事件を振り返って、「特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。」と自画自賛している。


 ロッキード事件当時、マスコミは、田中角栄元総理をロッキード社から賄賂を受け取った極悪人と決め付けて世論を煽動し、国民の圧倒的大多数は、捜査・公判を担当する検察庁を支持していた。


 しかし、たった一人、勇気を持って敢然と立ち上がり、これに異を唱えた憂国の士がいた。故・上智大学教授渡部昇一先生だ。英語学がご専門なのに、法律の専門家や世論を相手に法律論で論陣を張って孤軍奮闘なさっていた。

 渡部先生の論旨は、明快で大変説得力があったが(法律学がご専門ではないため、用語の使い方には誤りがあるが、それは些末なことにすぎない。)、残念ながら大衆に受け入れられることはなかった。私は、現在でも渡部先生の主張は正論だと考えている。

 誤解のないように予め述べておくが、渡部先生は、金銭の授受がなかったと主張しておられるわけではない。そんなことは当事者しか知り得ないし、検察官が裁判で証明すべきことだ。渡部先生は、法律論として疑義があると主張しておられるにすぎない。

 渡部先生は、ロッキード事件に関するエッセーをたくさん書かれているが、田中角栄元首相がお亡くなりになった後に書かれたエッセー『「田中角栄の死」に救われた最高裁』(平成6年2月)が簡潔にまとまっているので、少し長くなるが、一部引用しておこう。


 「まず嘱託尋問という、外国の裁判所に代理裁判をやってもらって、その記録をそのまま証拠とするような刑法上の制度、慣行がそれまで確立していたか、と言えばノウである。このようなことをやる可否を下級裁判所は最高裁にきいたところ、最高裁は許可した。これは第一審の裁判内容に最高裁が介入することになる。それが許されるのか。

 嘱託尋問に出席していたのは検察側だけである。弁護側が出ていない裁判ーー弁護側がゴネて出なかったわけでもないのだーーは許されてよいのか。

 当然、この嘱託尋問は検事側だけの尋問だから弁護士は不要だと言うであろう。しかしそれなら、その後で弁護側に反対尋問をさせなければならない。反対尋問のない証言などは言い放しということであり、三文の証言価値もない。あの極東軍事裁判(東京裁判)という、すべて事後法にもとづくインチキ裁判においてすら、裁判の形をととのえるためには反対尋問を許したのだ。

 もちろん日本国憲法も第三七条第二項で「刑事被告人は、すべての証人に対して審問をする機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」(傍点渡部※このブログでは傍点を振れないので、久保が該当箇所を太字にした。)と明記してある。一切の疑問の余地はないのだ。しかるに、下級裁判所は、被告側の反対尋問の要請を却下したのだ。堂々たる憲法違反である。

 それに日本の刑法によれば、司法取引きはないことになっている(たとえば被告Aが共犯者の名前を告白すれば被告Aは無罪になるなど)。しかし嘱託尋問ではこれをやった。こんな重大な違反をやった裁判官や検事こそ裁かれるべきなのではないか。」(渡部昇一著『日本人の本能』(PHP文庫)226頁〜227頁)


 今、裁かれるべき検事たちが蘇り、「正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない」とのたまわっている。


<追記>

 お若い方は、いわゆる「ロッキード世代」とは異なり、なんのことかさっぱり分からないと思うので、ロッキード事件の概要については、下記の記事をご覧いただきたい。検察官と裁判官がグルになって、超法規的措置として、違憲・違法な捜査・公判を行い、我が国の刑事司法の権威と信頼を失墜させた重大事件だということがご理解いただけるかと思う。これだけのことをしでかしながら己の罪を恥じて腹を切った者はいない。


 5月18日、安倍総理は、検察庁法改正案の今国会提出を断念した。



 

 






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