「罪を憎んで人を憎まず」というフレーズを時々見聞きすることがある。「罪は憎むべきだが、その罪を犯した人まで憎むべきではない、ということ」を意味する(『故事成語を知る辞典』小学館)。
天邪鬼(あまのじゃく)な私には、これがよく分からなかった。犯人を憎むことは、人間の心情として当然であって、犯人を憎まずに犯罪を憎めと言われても、犯罪が犯人とは無関係に単独で存在しているわけではないから、犯罪だけをどのように憎めば良いのだろうかと甚だ疑問だったからだ。
ところが、学生時代に刑法総論の講義で、刑罰の対象としての犯罪の意味をめぐる客観主義と主観主義の対立を習った際に、「罪を憎んで人を憎まず」を客観主義のことだと思えば、なんとなく分かるような気がした。
すなわち、客観主義とは、刑事責任の基礎をもっぱら外部的に表現された犯人の行為に求める立場(行為主義)であるのに対して、主観主義とは、犯人の反社会的性格、すなわち犯罪行為を反復する犯人の危虞(きぐ)性ないし社会的危険性に見出そうとする立場(行為者主義)をいう。
主観主義(行為者主義)を採るドイツの刑法学者リストは、「罰せられるべきものは、行為ではなく行為者である」と述べたが、この標語を裏返せば、「罰せられるべきものは、行為であって行為者ではない」というのが客観主義(行為主義)ということになる。
「罪を憎んで人を憎まず」が「罰せられるべきものは、行為であって行為者ではない」という意味であれば、それなりに筋が通っているように思えたのだ。
また、同じく刑法総論の講義で、酌量減軽(しゃくりょうげんけい)を習った際にも、「罪を憎んで人を憎まず」が酌量減軽のことだと思えば、なんとなく分かるような気がした。
現行の刑法第66条は、「犯罪の情状に酌量すべきものがあるときは、その刑を減軽することができる。」と定めているが、私が学生の頃は、「犯罪ノ情状憫諒ス可キモノハ、酌量シテ其刑ヲ減軽スルコトヲ得」と定められていた。「憫諒」は、「びんりょう」と読み、あわれんで思いやることを意味する。
「罪を憎んで人を憎まず」が、犯罪は許されないことだが、犯人には犯罪を犯すに至ったいろいろな事情があるから、その事情をあわれみ、刑を減軽すべきだという意味であれば、それなりに筋が通っているように思えたわけだ。
しかし、このような理解は、私が勝手に刑法に引きつけただけであって、正しい理解ではない。そもそも「罪を憎んで人を憎まず」は、『孔叢子(くぞうし)』の孔子の言葉に由来すると説明されているからだ(前掲『故事成語を知る辞典』)。
探してみたら、早稲田大学のHPに『孔叢子』がアップされていたので、読んでみた。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i17/i17_00290/i17_00290_0001/i17_00290_0001.pdf
『孔叢子(くぞうし)』巻上の刑論第四に、
【原文】
孔子曰、可哉。古之聴訟者、悪其意、不悪其人
【読み下し文】
孔子曰(いわく)、可なる哉(かな)。古(いにしえ)の訟(しょう)を聴く者は、其(そ)の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず。
【意訳】
孔子が言った。良いことだな。昔の裁判官は、罪を犯した人の心を憎んだのであって、その人を憎んだりしなかった。
『孔叢子』は、孔子が亡くなってから300年以上も経ってから作られた本なので、本当に孔子がこのように述べたかどうかについては疑問が残るが(おそらく偽書だろう。)、重要なのは、これはあくまでも中立な立場に立つべき裁判官の心構え・職業倫理を述べた言葉だということだ。
ところが、「罪を憎んで人を憎まず」では、「其の意を悪んで」が「罪を憎んで」に置き換えられた上で、裁判官のみならず、全ての人が守るべき道徳規範として一般化されている。
いつから誰が「罪を憎んで人を憎まず」と呼ぶようになったのだろうか。
国会図書館デジタルコレクションで「罪を憎んで人を憎まず」を検索したのだが、由来を示す文献はヒットせず、初出も分からなかった。
前掲の『故事成語を知る辞典』は、使用例として、「この思想――すなわち罪を憎んで人を憎まざる底の大岡さばきが、後世捕物小説の基本概念になったかも知れない[野村胡堂*江戸の昔を偲ぶ|1955]」を挙げている。少なくとも1955年(昭和30年)には、「罪を憎んで人を憎まず」が用いられていたということが分かるにすぎない。
行き詰まりかけたところ、下記の二つのサイトに、「キリスト教の聖書にも「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。」、「聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があり」という文を見つけた。
「罪を憎んで人を憎まず」は、『孔叢子』に由来するのではなく、聖書に由来するのか!と小躍りしそうになったけど、かつて聖書を読んだことがあるが、「罪を憎んで人を憎まず」なんてあったっけ???と疑問に思った。
とりあえず『ヨハネによる福音書』第8章を読んでみたら、「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉は載っておらず、真っ赤な嘘だった!
これだからネットは、信用ならん!!
ちなみに、『口語 新約聖書』(日本聖書協会)の「ヨハネによる福音書」第8章に次のようなやりとりがある。
8:2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
8:3
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
8:4
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
8:5
モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
8:6
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
8:7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
8:8
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
8:9
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
8:10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
8:11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
おそらくこのやりとりは、「己の胸に手を当てて考えれば、分かることだが、一度たりとも悪いことをしたことがないという人はいない。そもそもすべての人間は、原罪を背負った罪人なのだから、『罪のない者』はいない。それ故、他人の罪を咎(とが)めることができる人間はいない。罪を罰することができるのは、唯一絶対の神だけなのだ。イエスの教えを信ぜよ。イエスの教えを信ずる者だけが罪を赦される。」ということが言いたいのだろう。
ネットのウソ情報によって遠回りしてしまったが、怪我の功名と言うべきか、「罪を憎んで人を憎まず」は、ハードルが高い点で、キリスト教的だということに気付くことができた。
裁判官は、被害者や加害者との間に直接の利害関係がないので、中立な立場に立って「其の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず」という心構えで裁判を行うことが可能だろう。
しかし、「其の意を悪んで」が「罪を憎んで」に置き換えられた上で、裁判官のみならず、全ての人が守るべき道徳規範として一般化されてしまうと、被害者側にまで「罪を憎んで人を憎まず」を求められることになるので、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」・「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(新約聖書『マタイによる福音書』第5章)や「敵を愛し、憎む者に親切にせよ」(新約聖書『ルカによる福音書』第6章)と同様に、極めてハードルが高くなるわけだ。
この意味で、「罪を憎んで人を憎まず」は、キリスト教的だと思ったのだ。
推測の域を出ないが、大航海時代の支那若しくは日本又は明治維新後の日本におけるキリスト教の布教活動の中で、宣教師が孔子の「其の意を悪みて、其の人を悪まず」という言葉をもじって「罪を憎んで人を憎まず」と説教するようになった可能性がある。
宣教師によって『論語』や『中庸』など様々な書籍が翻訳されてヨーロッパにもたらされ、ヨーロッパの哲学思想に多大な影響を与えており、例えば、カトリック(イエズス会)の宣教師イントルチェッタ(1625年〜1696年)は、「支那の格言や法制が基督教の教理と類似するのを認めることぐらい、基督教の信奉を促すものはない。ゆえに宣教師はこの点を利用し、広闊な道を拓いて、支那人の如き文明国民に福音を宣伝することが出来るのである」、「もし孔子が近頃まで生存していて、基督教の純真なことを理解したとするならば、彼こそ基督教に改宗した最初の支那人であったろう」と述べているからだ(後藤末雄『東洋文庫144 中国思想のフランス西漸1』(平凡社)295頁)。
罪といえば、思い出すのが『特捜最前線』(1977年〜1987年)。この刑事ドラマのエンディング曲であるチリアーノ『私だけの十字架』をどうぞ♪
このドラマは、よくありがちな勧善懲悪ではなく、たった1時間の放送枠の中に加害者・被害者双方に様々な事情があることを丁寧に描いていて、記憶に残る刑事ドラマの傑作だと思う。
見終わるたびに、重苦しく、切なく、やるせない気持ちになり、『私だけの十字架』が流れると、より一層感傷的になったものだ。
<追記>
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」に関して、ハーバード大の講義で面白い解釈が示されていたそうだ。
「Aさん 「憎い相手を想像してみてくださいよ。利き手の右手で普通に相手を殴ったら、右でなく左の頬に当たりませんか?」
確かに! 聖書を読むだけでは、なかなか気づかない人が多いだろう。実際によく考えてみれば分かることだが、右手でとっさに誰かを殴るとなると、相手の右頬に当てることは難しい。
Aさん 「そうなんです。無理でしょ? 相手の右頬を殴りたければ、やりやすいのは手の甲、つまり裏拳です。昔は、卑しい身分の奴隷を殴る時、手のひらで殴ると『手が汚れる』と考えられていたため、裏拳で殴っていたんです」
なるほど! それなら確かにつじつまが合う。
Aさん 「でも、ここからが本題ですよ。右頬を裏拳で殴られた相手が、イエスの教え通りに左頬を差し出したとします。でも、裏拳では無理ですよね? 今度はキレイな手のひらで殴らざるを得ない。そこで主人が、右の手のひらで奴隷を殴ったとしましょう。するとそれは、今までの関係が変わった、ということを意味するのです。『主人と奴隷』の関係から、『対等』になってしまうのです。この事実は、殴る主人の側にとって大変屈辱的なことなのです。実は、ここに真意があるんです。
なんと!! 暴力を用いることなく、主人にここまで巧妙に屈辱を与えるとともに、自らの立場を変える方法がほかにあるだろうか! ガンジーの「非暴力不服従運動」にもつながる精神を感じる。そう、イエスは何も「奴隷のままでいて、全てを受け入れ、現世では我慢するように」などと言っていたわけではなく、"平和的な闘い方"を教えていたのだ。」
主人に右の頬を殴られた奴隷が左の頬を差し出したら、その反抗的な態度に激怒した主人は、右手の掌(てのひら)で殴らずに、腹に蹴りを入れて、奴隷が腹を押さえて俯いた瞬間に、奴隷の頭を両手で押さえて顔面に膝蹴りを入れる気がするけどね。。。苦笑
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