societyソサエティー「社会」

 英語societyソサエティーは、「社会」と訳されている(※1 ※2)。この「社会」という言葉を見聞きしない日はない。

 だが、果たして我々は、「社会」を正しく理解しているのだろうか。


 光文社の「第5回 ソサエティーとコミュニティー」を参考に、英語societyソサエティーと似て非なる英語communityコミュニティーを補助線として、考えてみることにする。

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 「地域共同体」と訳されている英語communityコミュニティーは、ラテン語communitasコムニタスが語源だ。co-は、「相互の、共同の」という意味で、munusは、「贈り物、責務、義務、勤労」という意味だから、communitasコムニタスは、「お互いに奉仕する状態」を意味する。


 素人考えで恐縮だが、英語communityは、家族や村落のように、血縁や地縁に基づいて、家族愛や郷土愛などの帰属意識に根ざした互恵的・互助的な人間同士の繋がりが原義だといってよいだろう。

 英語communityコミュニティー「地域共同体」は、自然発生的に生まれた、性別及び年齢並びに身分を問わない、血縁や地縁に基づく人間同士が助け合う繋がりなのだ。


 日本でも、例えば、茅葺(かやぶ)き屋根の葺(ふ)き替え、お祭り、葬式などは、お互い様ということで村総出で行われるので、英語communityは、田舎の村をイメージすれば、我々日本人にも理解しやすい。


 これに対して、英語societyソサエティー「社会」は、我々日本人には理解しづらい。もともと日本にはなかったという意味で、実体を伴わない概念だからだ。


 我が国では、例えば、非行少年が罪を犯した際に「社会が悪い」と責任転嫁したり、したり顔のコメンテーターが「社会全体で真剣に考えなければならない時期が来ているのではないでしょうか」と述べたり、「社会からの重圧」や「社会からの同調圧力」など、まるで個人や家族の外側に「社会」があり、場合によっては「社会」は、個人や家族と対立するかの如きイメージで語られることが多いが、このような理解でよいのだろうか。


 英語societyソサエティーは、「親交、友愛、絆」を意味するラテン語societasソキエタースが語源だ。

 そして、ラテン語societasソキエタースは、「戦友、仲間、相棒」を意味するラテン語sociusソキウスに由来する。


 どうして「戦友、仲間、相棒」を意味するラテン語sociusソキウスから「社会」を意味する英語societyソサエティーが派生したのかについては、古代ローマ軍をイメージすると理解しやすいと思う。

 

 すなわち、古代ローマでは、兵役は、参政権を有する自由民たる成人男性の義務であり、女性、未成年者、奴隷には兵役義務がなかった。

 愛する家族やローマを守るため、厳しい軍律を守って、兵士としての役目・義務を果たすことが一人前の男の証であり、それは同時に社会の一員になることだった。


 古代ローマでは、軍団は、歩兵と騎兵に分かれていた。例えば、剣を帯び、甲冑を身に纏(まと)った重装歩兵が大きな盾と投槍を持って、レギオンと呼ばれる密集陣形を組んで戦った。


 命令一下、各自が持ち場でそれぞれの役目・義務を果たさなければ、隊形が乱れて、味方は総崩れになって殺されてしまう。そのため、猛訓練を行なった。

 このように統率がとれたローマ軍は、烏合の衆にすぎない蛮族相手には無敵だったことから、領土が次第に拡張し、国境を守るために、故郷ローマから遠く離れた地に駐屯するようになる。

 蛮族が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する異郷の地なればこそ、戦友との絆はさらに強くなったことだろう。


 つまり、素人考えで恐縮だが、英語societyソサエティーは、戦に勝利し、家族やローマを守るという共通の目的を達成するために、各自がその役目・義務を果たさねばならない戦友同士の繋がり・絆が原義だと思われる。


 そこから、societyソサエティーには、

 ①a large group of people who live in the same country or area and have the same laws, traditions, etc.(Cambridge Dictionary)「同じ国又は地域に住み、同じ法、伝統などをもつ人々の大きなグループ」という意味が生まれ、「社会」、「地域社会」と訳されている。

 ②an organization for people who have the same interest(Cambridge Dictionary)「共通の関心事を抱く人々の組織・団体」という意味が生まれ、「協会」、「クラブ」、「結社」、「学会」などと訳されている。


 差し詰め、自由主義国家における「社会」というのは、法の支配の下、すべての国民が自由で、安心安全かつ快適な暮らしを営み、幸せを追い求めることができるように、各自がその義務を果たさなければならない国民同士の繋がり・絆を意味することになろうか。


 そうだとすれば、「社会」は、決して個人や家族の外側に存在するものではなく、ましてやこれと対立するものとして存在するわけではないのだ。


 このようにsocietyソサエティー「社会」を考えると、「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャー英国首相が、個人や家族の外側に「社会」なんて存在しないと述べた上で、「社会」の一員としてそれぞれの義務を果たさずに権利ばかり主張して施しを貰おうとするな!、と政府に依存することに馴らされた国民と福祉国家政策を痛烈に批判していることを理解することができる。


…I think we have gone through a period when too many children and people have been given to understand “I have a problem, it is the Government's job to cope with it!” or “I have a problem, I will go and get a grant to cope with it!” “I am homeless, the Government must house me!” and so they are casting their problems on society and who is society? There is no such thing! There are individual men and women and there are families and no government can do anything except through people and people look to themselves first. It is our duty to look after ourselves and then also to help look after our neighbour and life is a reciprocal business and people have got the entitlements too much in mind without the obligations, because there is no such thing as an entitlement unless someone has first met an obligation  …(太字・下線:久保)


…私たちは、あまりにも長い間、多くの子供たちや人々に、「私は、問題を抱えています。それを解決するのは政府の仕事だろ!」又は「私は、問題を抱えています。それに対処するために補助金をもらいに行く!」「私は、ホームレスです。政府が家を用意しなければならない!」ということを聞かせてきたと思います。それで彼らは、自分たちの問題を社会のせいにするのですが、誰が社会なのでしょうか?そんなものはないのです!個々の男と女がおり、家族があるだけなのです。政府は、(社会ではなく)人々を通してしか何もなし得ないのです。人々は、まず自らを省みなければなりません。自らを助けることは私たちの義務であり、隣人を助けるのも私たちの義務なのです。生は、互恵的なものなのです。人々は、義務なしに権利を意識しすぎています。誰かが最初に義務を果たさない限り、権利などというものは存在しないからです。…

  

 なお、communityコミュニティー「地域共同体」もsocietyソサエティー「社会」も人と人との繋がりを意味する点では同じだが、societyソサエティー「社会」は、自然発生的な繋がりであるcommunityコミュニティー「地域共同体」とは異なり、元来、参政権を有する自由民たる成人男性の繋がり(政治)=戦友の繋がり(軍隊)という人為的・制度的な繋がりを意味するから、女性が社会の一員として政治に参加するためには、男性と同様に、兵役義務を負わねばならないのが筋だということになるが、この点については、以前述べたので、省略する。


※1 「社会」の語源

 『新明解語源辞典』(三省堂)によれば、「社会」は、

 「英語societyの訳語で、「「社会」は、中国では土地の守護神を中心とした集団を意味し、宋代の『近思録』に「郷民為社会[郷民社会を為す]」とある。それを日本で訳語として用いたもので、(略)今日の意味で「社会」を初めて使ったのは、福地桜痴で明治八年一月一四日の『東京日日新聞』に「高上なる社会〈ソサイチー〉」と使ったという(明治のことば辞典)」

とある。


※2 英語societyの翻訳語

 英語societyをどのように翻訳すべきかと明治の人たちが苦悩した点については、柳父章(やなぶ あきら)著『翻訳語成立事情』(岩波新書)が詳しい。

 「仲間、組、連中、社中」など様々な訳語が考案された。福沢諭吉先生は、「人間交際」や「交際」と訳している。

 


 



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