中学の修学旅行で奈良を訪れたことがある。当時から奈良公園の鹿は、礼儀正しく、「こんにちは」とお辞儀したら、ちゃんとお辞儀を返してくれた。
ペットの犬をブラッシングしてやると、喜ぶので、鹿はどうだろうかと思って、携帯用の櫛で鹿の背中を梳(す)いてやったら、気持ちよさそうに目を細めていた。手を止めると、こちらを見るので、「まだするの?」と訊くと、「うん」と頷くので、続けて梳いてやると、「ボクも!ワタシも!」と鹿たちが集まってきた。
ヘアブラシを持ってきたら良かったと思ったが、そんなことをしたら、一日中ブラッシングをさせられそうだなと苦笑した。
こんな可愛い鹿を殴ったり蹴ったりする外国人観光客が後を絶たないらしい。これ以外にも、ゴミのポイ捨て、私有地の無断侵入、交通ルール無視など、外国人観光客のマナーの悪さを聞かない日はない。
以前、「郷に入っては郷に従え」について述べた。
では、我々日本人は、昔から「郷に入っては郷に従え」を実践しているのかというと、必ずしもそうだとは限らない。
というのは、「旅の恥は掻(か)き捨て」という諺(ことわざ)があるからだ。
そこで、「旅の恥は掻き捨て」の由来を探しているうちに、私が知っている①の意味とは異なるもう一つの②の意味があるらしいことを知った。
① 傍若無人に振る舞うこと
「旅先では知った人もいないし、長くいるわけでもないから、恥ずかしい行いをしてもその場限りのものである。旅先では、解放感も加わってふだんならしないような恥さらしなことを平気でやる場合のことをいう。」(『精選版日本国語大辞典』小学館。下線:久保)
② 恥入る必要はないこと
孫引きで恐縮だが、下記のブログによると、ことわざ雑学の本(著者・書名・出版社不明)には、
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「旅の恥はかき捨て」と言うことわざの出来た時代は、情報も十分でなく見知らぬ土地に行って、習慣や風習の違いなどから思わぬ失敗をしてしまうかもしれない。 それは、初めての土地に戸惑っての失敗なのだから、別に恥じ入る必要はない、というところから生まれたことわざである。 失敗してしまった旅人は、「不慣れでごめんなさい。みっともないですね。」と思い、現地の人は「知らなかったのだから仕方がないよ。恥ずかしいことではありませんよ。」と許す。そういった関係を表したことわざのはずである。
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とあるらしい。
う〜ん、庶民が旅をするようになったのは、江戸時代。「三百諸侯」と呼ばれたように、当時大名だけでも全国に約260から約280もいた。それぞれの領地において、法、慣習、しきたり、風俗習慣等が異なるため、「郷に入っては郷に従え」と分かっていても、旅先で思わぬミスをして恥をかくこともある。
もし②の意味だとしたら、「知らずにしたことだから、恥入る必要はない」となぐさめる日本人らしい心遣いを表した諺ということになろうか。
しかし、②は、間違っていると考える。
「掻捨」は、「恥などをかいても、そのままにして気にもとめないこと」(『精選版日本国語大辞典』小学館)をいう。
②は、恥ずかしいことをしてしまったと気にして恥入っていることを前提とするので、「掻き捨て」という言葉と相容れない。
故に、この諺の意味は、①だと考えるのが妥当だろう。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次さん・喜多さんのように、旅先で悪ふざけをする旅人がいたので、①の意味の諺が生まれたと思われる。
たとえ旅先であっても、傍若無人に振る舞うことが許されるわけではないから、この諺を自らの恥さらしな行為の正当化根拠として用いることは許されない。
アメリカ英語にも、①の意味の「旅の恥はかき捨て」に似た諺があるそうだ。
What happens in Vegas stays in Vegas.「ラスベガスで起きたことは、ラスベガスに残る」
つまり、ラスベガスから帰ってきたら、ラスベガスで起きたことは誰も知らないから、悪ふざけをしてもかまわない、というわけだ。
昔から、ヨーロッパではアメリカ人観光客のマナーの悪さは有名で、今でもマナーが悪いと言われているが、ひょっとしたらアメリカ人は、What happens in Vegas stays in Vegas.をマナー違反の正当化根拠としているのかも知れない。
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