私が高校生の頃からだろうか、学者・評論家・マスコミは、何かにつけて「スウェーデンを見習え!」と言っていた。世間が礼賛するほど、天邪鬼(あまのじゃく)の私は、疑った。
スウェーデンについて本格的に勉強したわけではないが、スウェーデンについて書かれた本は、武田龍夫『北欧ーその素顔との対話』(中央公論社)以外は、スウェーデンを礼賛するいわゆるトンデモ本の悪書だった。
そこで、建国記念の日に、スウェーデンに対する感想を書き留めておくことも無意義ではあるまい。
1 スウェーデンの国柄と福祉国家
スウェーデンの国土は、日本の1.2倍あるが(人口は12分の1)、その大部分は痩せた土地で、とにかく寒い。人間が生きていくには相応しくない厳しい環境だから、貧しいスウェーデン人は、生きるために、強盗をするしかなかった。
子供の頃に見たアニメ『小さなバイキング ビッケ』は、バイキングの首領の息子ビッケが、頓知(とんち)で仲間の危機を救うお話で、面白かった。原作は、スウェーデンの作家ルーネル・ヨンソン『小さなバイキング ビッケ』という児童文学だ。バイキングは、家族や仲間思いの優しくて力強い「善人」として描かれているが、バイキングは、所詮、残虐非道な強盗殺人犯(海賊)の集団だ。
現在、バイキングは、交易商の側面があったことが殊更に強調されているが、イメージ悪化をおそれてのプロパガンダにすぎないから、話半分に聞くべきだ。かつてのスウェーデンは、世界的にみても珍しい強盗殺人犯の国だったのだ。
それ故、役立たずの老人は、口減しのために、フィヨルドの崖から突き落として殺した。
このような辛く悲しい歴史が長く続いたために、スウェーデンでは、労働能力がある者のみが価値があるとされ、自分たちが生き残ることを最優先に、効率性がなによりも重視された。
この国柄・国民性は、福祉主義に大変マッチした。
福祉国家というと、我々日本人は、素晴らしい理想的な国家であるかのように思わされているが、国民が国の福祉政策に依存するということは、国民の運命が国家に委ねられることを意味するから、国の経済が傾いて福祉予算が削られると、直ちに国民の生活が脅かされることになるのだ。高税率で貯蓄が乏しいからだ。換言すれば、国家に国民の生殺与奪の権が握られているのだ。
また、福祉国家においては、福祉政策を維持向上するため、なによりも経済効率性が重視される。
それ故、生産性が低くて経済効率性が悪く、コストがかかる者、すなわち労働能力の低い老人、障害者、病人は、「厄介者」・「社会のお荷物」・「無価値な(役立たずな)存在」として社会から排除されてしかるべきだということになる。
つまり、福祉国家は、恐ろしい反人道的な国家なのだ。
なお、スウェーデンは、高福祉・高負担なのに、なぜ国際競争力があるのかという疑問が生じるが、これも経済効率性を重視する国柄・国民性によるところが大きい。
すなわち、産業政策面でも経済効率性を追求して、倒産の危機に瀕した個別企業を救済せずに、国を挙げて産業構造の転換を図ってきたのだ。産業構造の転換に伴って大量の失業者が生まれるが、失業保険給付だけでなく、様々な職業訓練や職業訓練中の子育て支援も充実させることによって成長分野への転職を積極的に推進してきたことが国際競争力の維持に貢献していると考えられる。
話を戻して、福祉国家が反人道的な国家であることについて、もう少し見てみよう。
2 老人
子供と同居している高齢者(日本:65歳以上、スウェーデン:67歳以上)の割合は、日本が44.1%であるのに対して、スウェーデンは、たったの4%に過ぎない。
スウェーデンでは、かつて老人を崖から突き落として殺したように、老人ホームに収容する。
スウェーデンの老人ホームでは、心がこもった手厚い介護が行われずに、単に事務的に行われるだけだ。スウェーデンの介護士は、公務員なので、一所懸命にきめ細かな介護をしなくてもクビになることがないからだ。日本の動物園で飼育されているパンダの方がマシではないかと思えるレベルだ。
スウェーデンの介護関係者が日本へ視察に来ると、きめ細やかな介護に驚嘆の声をあげるそうだ。
「自立した強い個人」が尊ばれる(=労働能力のある者だけが価値がある)スウェーデンでは、本人の意思を尊重し、認知症を患っていても一人で外出したいと言えば、家族の同意を得た上で、GPS付き携帯を持たせて外出を許可し、事故に遭っても自己責任だとして、老人ホームの責任が問われることはないそうだ。
スウェーデンでは、介護の財源は、すべて税金であり、介護士は、公務員だから、経済効率性が何よりも重視される。
老人が自分の口で食事ができなくなると、徹底的に嚥下訓練が行われるが、それでも難しい場合には、食事介助や水分補給をせずに、自然な形で看取るのだという。税金の無駄だからだ。日本では、直接胃に栄養を送る胃ろうが行われるが、スウェーデンでは、胃ろうは虐待だという理由で、見殺しが行われるわけだ。
肺炎になっても、内服薬が処方されるだけで、注射もせずに見殺しにする。自然に息を引き取るのが一番だというのが表向きの理由だが、実際には税金の無駄だからだ。
スウェーデンでは、1980年代までは延命治療が行われていたが、長期間の延命治療は、本人、家族、社会にとって無駄だと考えられるようになった結果、今では、無理な延命治療は行われなくなった。
年老いた親の面倒を子供がみなくても、国が代わりにやってくれるので、敬老の精神が希薄で、老人ホームに見舞いに来る子供は少ない。
スウェーデン人は、家族ですら人間関係が希薄なのだから、孤独な老人たちは、他人との関わりを持たず、生ける屍の如く、残りの人生を無為に過ごすしかない。
3 障害者
では、世間で吹聴されているように、スウェーデンは、障害者に優しい国なのだろうか。
スウェーデンでは、国家社会主義である社会民主労働党(社民党)が長期にわたって政権に就いていた(1932年から1976年までの44年間)。
社会民主労働党は、その機関紙に金髪碧眼(へきがん)の人(金髪で青い瞳の人)を理想の国民だと称賛するほど、優生思想に毒されていた。国家社会主義であるナチス・ドイツと同じだ。
ノーベル賞を受賞したミュルダール夫妻(夫グンナル:1974年ノーベル経済学賞、妻アルバ:1982年ノーベル平和賞)は、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと主張した(『人口問題の危機』1934年。ベストセラーになったこの本は、出生率を上昇させるためには、低所得者の子育て世帯への経済的支援が必要だと主張した結果、スウェーデンでは、1937年に出産手当が、1948年には所得制限をなくした児童手当が導入され、現代日本にも影響を与えている悪書だ。)。
そこで、1934年、断種法(「特定の精神疾患者、精神薄弱者又はその他の精神活動の混乱に罹った者の断 種に関する法律」スウェーデン法令全書 1934 年第 171 号)が制定された。
1934年の断種法は、断種に同意す る能力を持たない者(法的無能力者)のみを対象とするものであったが、1941年の断種法(「断種に関す る法律」スウェーデン法令全書 1941 年第 282 号)は、疾病治療のために必要とされる断種を除く全ての断種に適用が拡大された。
その結果、「1935 年から 1975 年までの間に、約 6 万 3 千人 に断種が行われている」。そのうち、少なくとも約1万2千人が強制的に断種が行われたと言われている。
対象者は、精神疾患患者、精神薄弱者、知的障害者、ジプシー、混血児、常習犯罪者、売春婦に及んでいることから、優生思想に基づく民族浄化だったことは明らかだ。ナチス・ドイツと全く同じだ。
しかも、「男女比では圧倒的に女性の比率が高く、スウェーデンの断種手術の特徴となっている」。つまり、男女平等に断種が行われたわけではなかったのだ。
「1976 年 1 月 1 日の現行断種法の施行により、スウェーデンにおける強制断種 の規定は、性別変更の要件としての断種が残るのみとなった」。
しかし、これは、優生思想に基づく民族浄化を反省したからでもなければ、人権保障のためでもなく、望まれない子供(障害児)を持つことは損だという認識が社会全体に広がったため、中絶を個人の自己決定に委ねても、必ず中絶を選択して障害者が社会から排除されるし、また、安全安価な避妊薬が開発されたからにすぎない。
4 病人
病人についても同様であって、福祉国家において、病気は、一個人の問題ではない。医療費は、国の負担だから、病気は、国民全体の問題なのだ。
それ故、不景気になれば、福祉国家を維持できないおそれがあるので、病人が増えないようにするために、国家が国民の健康を管理し、不健康な人を社会から排除すべく、究極的には断種が行われたのだ。
そして、現在、スウェーデン等の北欧諸国では、医療コストがかかる延命治療ではなく、尊厳死を認めよという議論が活発になっているのも、同様の理由による。
いずれ「厄介者」は、社会的同調圧力により、安楽死を選択せざるを得ない状況に追い込まれるかも知れない。
5 福祉国家における「福祉=幸福」は、偽りの幸福
日本では、福祉国家は、社会的経済的弱者を保護する人道的で温かい人権保障に優れた国だと誤解されているが、以上概観したように、福祉国家先進国であるスウェーデンでは、老人、障害者、病人を社会から排除して、労働能力がある健康な健常者のみが幸せになろうとするディストピアなのだ。
しかも、その幸せは、まやかしに過ぎない。
すなわち、国際連合の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する「世界幸福度報告(World Happiness Report)」に掲載された「世界幸福度ランキング」で、毎年、北欧5か国が上位を独占している。2024年版では、スウェーデンは第4位で、日本は第51位だった。
だから、「日本も見習え!」と言われるのだが、数字のマジックに騙されてはならない。例えば、幸福の前提条件である「治安の良さ」が指標に入っていないことからも分かるように、この国別ランキングの指標自体がいい加減なのだ。このランキングの指標は、下記の通りだ。
① 1人当たりGDP
② 社会的支援(「困ったときに頼れる親戚や友人がいますか」という質問への回答で評価)
③ 健康寿命(世界保健機関の100項目に及ぶ健康評価による)
④ 人生の選択の自由度(「人生で何をするかを選択する際の自由度に満足していますか? それとも不満がありますか?」という質問への回答で評価)
⑤ 他者への寛容度(「この1か月間で慈善団体に寄付をしましたか?」という質問への回答で評価)
⑥ 社会(官民を問わず)の腐敗をどの程度と認識しているか
このランキングは、北欧諸国が、福祉国家体制を維持するために、自国民に対して「お前たちは、世界で最も幸せなのだ!」と騙すために作成されているのではないかと思わざるを得ない。
スウェーデンならば、このような小細工を平気でやると思う。
なぜならば、1940年代後半から1970年代にかけて極秘裏に独自の核兵器開発を進めていたことが1994年に発覚したのだが、この核兵器開発の責任者が世界平和と核兵器廃絶を世界に訴えていたパルメ首相(社会民主労働党)本人だったからだ。
ちなみに、スウェーデンは、世界有数の武器輸出国であり、武器を輸出して、他国民の血に染まった金で福祉国家を作り、これを維持している。かつての強盗殺人犯の国よりも死の商人の国の方がマシなのかも知れないが。。。
話を戻すと、OECD(経済協力開発機構)29か国の抗うつ薬使用量ランキンでは、第1位は、アイスランドで人口1,000人あたり146日分、第6位は、スウェーデンの103日分、第9位は、デンマークの76日分、第10位は、フィンランドの75日分だ。
つまり、世界幸福度ランキングで上位の北欧諸国は、抗うつ薬使用量が多いわけだ。抗うつ薬を飲まなければ、生きていけないほど辛い人生が、果たして幸せだと言えるのだろうか。
6 女性
スウェーデンは、マッチョなバイキングの国だから、男尊女卑が当たり前だった。厳しい自然環境を生き抜くためには、そうせざるを得なかったのだろう。
日本も、男尊女卑だと誹謗中傷されて久しいが、財布の紐(経済的実権)を握っているのは妻であり、「かかあ天下」・「おかみ(神)さん」と言われるほど、妻の地位が高かった。
現代になっても、スウェーデンでは、夫が妻に給料を渡して家計の管理を任せることはなく、家内奴隷の如く家庭に縛られ、出産・育児・家事という無報酬の労働に日々追われている専業主婦の立場に甘んじなければならなかった。
強姦の範囲が国によって異なるので、単純な比較ができないのだが、人口10万人当たりの強姦事件発生件数ではスウェーデンは、世界で上位3か国にランキングしているのも、男尊女卑とは無関係ではなかろう。
スウェーデンは、北欧神話に基づく土着宗教の歴史が12世紀まで続き、カトリックの宣教師の布教によってキリスト教化された最後のスカンジナビアの国だ。つまり、それだけマッチョな男尊女卑が色濃く残った国なのだ。
16世紀にプロテスタントへ移行し、福音派のルター派が多数を占めている。2000年に政教分離が実施され、国教がない唯一の北欧の国になった今では、フランクフルト学派によってキリスト教の伝統が破壊され、WIN/Gallup Internationalの調査によると、スウェーデンは、中国、日本、エストニア、ノルウェー、チェコ共和国と並んで、世界で最も宗教色の薄い国の一つになった。
しかし、スウェーデンは、プロテスタンティズムの倫理のお蔭で経済成長を遂げることができたのだが、福祉国家になると、労働力不足を補うために、社会民主労働党は、安い労働力として女性に着目し、女性の社会進出を推奨した。
今でこそフルタイムで働く女性や女性の管理職が増えてきたが、当初は、パートタイマーで、家庭の延長である保育、看護、介護、教師、秘書、調理配膳などのいわば女性向きの仕事に従事し、賃金が低かった。
しかし、たとえ収入が少なくても、社会保障が充実するようになると、夫の収入に頼る必要がないため、自立する女性が増えて、離婚も増加した。
他方で、後述するように、少子化が進んだため、低所得者層への子育て支援の充実が図られるようになった。
そのため、「子供は社会の財産」・「社会で子供を育てる」という社会主義政策の下、母親は(もちろん父親も)、子育ての責任を放棄し、又は子育ての責任や良心の呵責から解放され、子供を顧みずに働くことができるようになり、ますます離婚が増え、離婚率は50%を超えた。
スウェーデンでは、義務教育を終えた16歳から親元を離れて一人暮らしを始めるのが普通であって、親から人の道を教えられず、親の愛情も知らぬ青少年の犯罪が増加し、治安が悪化した。
1979年に制定された虐待防止法により、悪いことをしても親や教師に叱られることがなくなり、躾のなっていない子供はやりたい放題だそうで、例えば、大手スーパーが「万引き犯を恩赦(許す)日」を作って、正直に万引きしたことを告白すれば罪に問わないと発表したら、その日に100人以上の子供が謝罪に訪れたそうだ。謝罪に訪れただけマシなのかも知れないが、これが美談になるほど社会秩序が乱れていると言える。
また、前述したように、スウェーデンで避妊薬ピルが解禁された結果、刹那主義的快楽に溺れて、フィーリングさえ合えば誰とでも性交するようになって、性風俗・性道徳が乱れるとともに、1960年代後半から1970年代前半にかけて、「無修正ポルノ」・「フリーセックス」(今風に言えば、「ジェンダーフリー」。つまり、同性同士の性交が自由だということ。)の先進国として世界に名を馳せた。
揺り籠から墓場まで国家が面倒を見てくれることにより、本来自由であるべき私的領域が極端に狭まり、国家が直接介入・決定するようになったがために、却(かえ)って、スウェーデン国民は、ますます利己主義的になって、自己決定に委ねられた数少ない私的領域である結婚・出産についても、自分自身の利益を基準に損得勘定で判断するようになった。
配偶者も子供も、もはや愛情を注ぐべき対象ではなく、自分を束縛する者でしかなく、損だと考える女性が増えたのだ。行きずりの男と即物的に寝れば、性欲を満たせて後腐れがないし、老後は子供に頼らず国が面倒を見てくれるからだ。
その結果、事実婚(内縁)・婚外子が増加するとともに、子供の代わりに国家が自分たちの老後の面倒を見てくれるので、子供は不要だから、少子化が進んだ。
ふしだらな親の元に生まれ、親の愛情を知らずに社会に育てられた子供たちが、老親の面倒を見たり、老人ホームに入所している老親を見舞ったりするはずもない。因果応報だ。
7 難民
金髪碧眼を理想の国民だと考えたスウェーデンは、元来人種差別的であり、自国民にすら平気で断種を行なっていたのだから、受け入れた難民を厚遇するはずがない。
「多くの難民は一般のスウェーデン人が住みたがらないような郊外で生活せざるを得ない状況となっています。そういった難民のいる地域は、教育レベルが低く、あまりスウェーデン語も話されない環境下で、一般のスウェーデン社会からは隔てられた社会となっているのです」
「こうしたスウェーデンの難民地域では、貧困率や失業率も高く、将来に希望を見出すことができず、不満を抱える若者たちが増えていったのだという。」
その結果、「スウェーデンでは数年前からギャング犯罪が横行しており、同国のギャング集団は、暗号化機能を備えたテレグラムなどのメッセージアプリを使用し、刑事責任を問われない15歳未満の子どもたちを「殺し屋」として勧誘しているとのこと。また、「殺し」の報酬として200万円越えの高額を提示するケースもあるというのだ。」
「現在、スウェーデンギャングの構成員は約3万人と推定されており、推定2万5000人とされているイタリアのマフィアや、推定2万400人とされている日本の暴力団を上回っています」
「スウェーデンの総人口は約1000万人。イタリアの総人口は約5900万人、日本の総人口は約1億2300万人のため、人口比率から考えると、スウェーデンのギャングが桁違いに多いことがわかるだろう。」
「またスウェーデンギャングの年間収入は約1兆4200億円から2兆1400億円にもなり、日本の暴力団の年間収入である約1兆数千億円よりも大きな収入となっています。このことからもわかるように、スウェーデンギャングは構成員、取引量、収入のすべてにおいて日本の暴力団を圧倒的に凌駕するほどの犯罪組織となっているんです」
8 日本を守れ!
以上述べたように、世間ではスウェーデンが理想の国・ユートピアであるかのように語られているが、それは幻想であって、その実像は、恐怖のディストピアなのだ。
『大学』に、修身斉家治国平天下(しゅしんせいかちこくへいてんか)という有名な章句がある。まず自分の行いを正しくし、家庭をととのえ、国を治め、天下を平らか(平和)にすべきだ、という意味だ。
スウェーデンのやっていることは、これとは真逆だ。
日本が憎くて憎くてたまらない連中や革命を夢見る連中が、スウェーデンの政策・施策を、文化的背景を異にする日本へそのまま移入することによって、日本の伝統・文化・道徳・家庭等を破壊し、日本を内部崩壊させようとしてデマを流している。
家庭は、世間の荒波から家族を守り、子供が独り立ちできるように愛情を込めて生きる術(倫理、マナーを含む。)を教える場であるとともに、肉親の老病死を間近で体験することにより、命の儚(はかな)さや世の無常を自覚し、もって慈しみと感謝の心を養い、亡くなった肉親の思いを受け止め、亡くなった肉親との思い出をファミリーヒストリーとして語り継ぐ場でもある。さらに、家庭は、伝統文化を親から子へと継承する場でもある。
家庭は、個人の損得勘定で結ばれているわけではなく、損得勘定を超えた先祖との繋がりと無償の愛情に裏打ちされた家族の連帯感によって結ばれた絆なのだ。
家族の絆が親族の絆へ、親族の絆が地域の絆へ、地域の絆が国の絆へと広がり、国が治る。家族の連帯感が拡張されたものが郷土愛や愛国心だ。
初代天皇であらせられる神武天皇が「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)む」(国中の人々を一つ屋根の下に住む家族としよう)と建国の理念を掲げられたのは、このような深慮に基づく。
先人たちに敬意と感謝を捧げつつ、建国の理念を守り、後世へと受け渡すことは、我々日本人の道義的義務だ。これまでは当たり前すぎて必ずしも意識せずに無自覚に行われてきたが、スウェーデン礼賛が行われている現代においては、意識的に行う必要がある。
しかも、悪辣(あくらつ)な連中によってすでに外堀はすっかり埋められてしまい、落城寸前だ。決して日本をスウェーデンのような国にしてはならない。
スウェーデンのポップソンググループABBAの「Money Money Money」(1976年)は、もともと「Gypsy Girl」というタイトルだった。
石川啄木の「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」ではないが、スウェーデンで差別を受けているジプシーの娘がいくら働いても暮らしが楽にならないので、人生を変えるために金持ちとの結婚を夢見るけど、金持ちを捕まえるのは無理だから、カジノで一発逆転を夢見るという歌だ。
福祉国家スウェーデンの実情を表現した歌だとも言える。
小学生のとき、初めて買ったラジカセのおまけとして、「Money Money Money」が収録されているABBAのアルバム「Arrival」の複製テープを貰った。店員さんが勝手にダビングしたカセットテープだ。英語は分からなかったが、Moneyがお金を意味することは知っていたので、「金、金、金」って守銭奴の歌か?と思いながら、聴いていた。笑
このジプシーの娘と同様に、お金が全てという物欲娘を歌ったのがMadonnaマドンナのMaterial Girl(1984年)だ。
さらに、このMadonnaのMaterial Girlの元になったのが、Marilyn Monroeマリリン・モンロー主演のハリウッド映画Gentlemen Prefer Blondes『紳士は金髪がお好き』(1953年)の挿入歌Diamonds Are a Girl's Best Friendダイヤモンドは女の親友だ。
女が歳を取ると、紳士たちは離れていくが、ダイヤモンドはいつまでも輝いてずっとそばにいてくれる。だから、女は、ダイヤモンドが好きなのか!と妙に納得したのがこの歌だ。笑
Diamonds Are a Girl's Best Friendも、Material Girlも、白人の金髪娘だから、ちやほやされてダイヤモンド等を貰える可能性があるのだが、Money Money Moneyのジプシー娘は、自分も欲しいと思っても、スウェーデンの白人社会で厳しい差別を受けているので、結局、カジノで一山当てることを夢見ざるを得ないわけで、同じ物欲娘でも、置かれた立場によってずいぶん異なることは、曲調にも表れている。
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