愛知県豊明市が発表した、市民が余暇の時間にスマートフォンなどを使う時間を1日あたり2時間までとする条例案について、賛否両論が巻き起こっているらしい。
一般論として、「全国初」の条例案を発表して、マスコミから注目を浴び、仕事をやっている感を有権者にアピールしたがる首長が全国にたくさんいる。
そのような首長は、政治屋だから、政治的パフォーマンスに走るのも無理はないが、これを止める人がおらず、イエスマンしか周りに置いていないのだとしたら、その首長は、住民代表にふさわしくない。
代表民主政は、民意がダイレクトに政治を支配し、衆愚政治に陥ることを防ぐための制度であって、住民代表たる首長自らが政治的パフォーマンスを行う劇場型衆愚政治を行うことは、本末転倒だからだ。
政治的なことはともかくとして、この記事を読んで、真っ先に思い浮かんだのは、「法は家庭に入らず」という法格言だ。
法を道具として社会に生起する諸問題を解決しようとすることは、公権力の守備範囲を拡大し、自由を不当に制限する危険性を秘めている。自由を保障するためには、公権力の行使は、できるだけ謙抑的であるべきであって、殊に家庭内の問題は、「法は家庭に入らず」を原則とすべきだからだ。
住民に義務を課したり権利を制限したりするものではない単なる理念条例であっても、世間の荒波から家族を守る防波堤である家に、法が土足で入るべきではなく、家庭内の問題は、家庭の自律的解決に委ねるべきなのだ。
参議院法制局は、この法格言について、次のように説明している。
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【法は家庭に入らず[古代ローマ]】
この法格言は、家庭内の問題については法が関与せず自治的解決にゆだねるべきであるとの考え方を示すものです。民法の協議離婚制度(当事者の合意があれば、裁判所の関与なく、届出のみで離婚できる制度)や刑法の親族間の特例(窃盗、詐欺、横領などで夫婦や一定の親族には刑が免除)などに具体化されています。なお、家庭内における虐待や暴力について、いわゆる児童虐待防止法やDV防止法が制定されるなど、この法格言を超えて積極的に法が関与する例も見られます。
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また、中央大学法科大学院教授・弁護士の棚瀬 孝雄氏は、次のように説明している。
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「法は家庭に入らず」というのは,温かい人間的関係であるべき家庭が,取引社会のよ うな権利義務の関係に還元されてはならないということ,あるいは,多分に情緒的であ り,多面的な関係であるものが,法の一面的な評価で切ってしまっては解決にならない ということですが,しかし,虐待や DV の発見は,家庭の中であっても,お互いの人格 を尊重する市民法原理が守られなければならず,その侵害がある場合には,法は家庭に 入らざるを得ないという,社会の新たな決意を意味しています。(『法の近代と脱近代』中央ロー・ジャーナル第11巻第3号(2014)12頁)
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https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/record/6806/files/1349_6239_11~3~3.pdf&ved=2ahUKEwi-gcnFkqKPAxW-b_UHHSYGL5IQFnoECD8QAQ&usg=AOvVaw2MAw3eJRyNNP1XvMnnfLak
このように「法は家庭に入らず」という法格言は、私も含めて論者がそれぞれの思いを込めてよく引用されるのだが、本来の「法は家庭に入らず」は、自由や家族の愛情とは無関係であって、家長権と呼ばれる家長の家族に対する絶対的支配権を前提に、「法は、家長の家内支配には原則として介入するべからず」という意味だった。
古代ローマは、家長(=市民)を単位として構成される共同体であり、家長は、家族に対して生殺与奪の権をもっていたからこそ、「法は家庭に入らず」だったのだ。※
この点、福井大学准教授生駒俊英氏の『養育費立替制度導入に向けてー「法は家庭に入らず」を超えてー」は、次のように説明している。
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「法は家庭に入らず」の原則(以下、「本原則」とする。)は、ローマ法からコモン・ローを通 じての法格言とされる。古代ギリシャやローマの国は、家長たちによって構成される共同体であ り、法も、家長たち相互の関係を規律するものであって、家長の家内支配には原則として介入し なかった。背景として、初期のローマにおける個人は、集団の一員であると考えられており、ロ ーマ法が念頭に置いていた単位は家族であり、家族内の事を法が扱う事が想定されていなかっ たのである。このような家長の家内支配が原則であるローマ法の下では、家長は自分の子と妻に 対する完全な権力を有しており、この家長権は、その権力に服している者を殺害し、懲戒し、追 放する権利をも含んでいたとされる。ローマ人は、「眞に家庭を形成することもなし得なかった」 (戒能通孝『社会生活と家族法』(クレス出版、1990 年)247 頁)と指摘されている点からも、 生成過程における背景からは、本原則を民主的な家庭内自治を前提するものではなく、家長の家 庭内における絶対的支配を前提にしたものと理解できる。
では、家庭内部において、家長の権限が濫用的に行使されていかというと、法が介入しないこ とによる家長の権利濫用については、習俗による制約があり、それで十分であったとされている。 具体的には、戸口調査官によって監督される習俗と神法が濫用を防いでいた。戸口調査官は、権力を濫用した家父を責問し、彼に刑罰を科したとされる。したがって、家長による権力の濫用は 実際にはごくわずかにすぎないと指摘される。
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https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-18K01358/18K01358seika.pdf&ved=2ahUKEwj9ubKDlKKPAxXYs1YBHTXuIKgQFnoECBYQAQ&usg=AOvVaw0Yb6ThdzJU3CHrDdwMX4G5
ローマ法が専門の京都大学教授柴田光蔵氏も、次のように説明している。
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「 家 」 は 、 い わ ば 「 権 利 の 巣 」 で す 。 家 長 の 権 利 ( 家 長 権 )( p a t r i a p o t e s t a s ) は 、 家 の 構 成 員 全 体 へ の 支 配 権 ( も っ と も 、 実 家 の 家 長 の 家 長 権 に 服 属 し た ま ま で 、 楔 を 打 ち こ む よ う に し て 、 婚 家 に 入 っ て き て い る 妻 に 対 し て は 、 婚 家 の 家 長 は 、 支 配 権 は 保 有 し て い ま せ ん )、 家 財 な ど に 対 す る 所 有 権 、 奴 隷 に 対 す る 主 人 権 な ど 、 家 の あ ら ゆ る 分 野 に 及 び ま す 。 家 長 権 の 最 高 の 行 使 形 態 は 、 家 子 に 対 し て 「 生 殺 与 奪 の 権 」 を 発 動 し 、 そ の 者 を 殺 害 し て し ま う 場 合 で す 。以 上 は 、タ テ マ エ( 法 の 構 え )に つ い て の 話 で す が 、し か し 、ホ ン ネ( 実 像 ) を 探 っ て み ま す と 、 家 長 は 、 権 利 と い う 鎧 を 身 に 着 け て い ま す が 、 そ の 上 に は 、 広 い 意 味 で の 「 社 会 的 義 務 」 の ヴ ェ ― ル を 纏 っ て い ま す 。 こ の 、 無 形 の 、 捉 え ど こ ろ の な い と こ ろ も あ る 義 務 に 十 分 に 気 配 り ・ 目 配 り を し な い 家 長 は 、法 の 世 界 で は な く て 、モ ラ ル の 世 界 で 、と き に は 、「 祖 先 の 慣 習 」に 反 す る 行 な い に 出 た 者 と し て 、世 間 か ら 、糾 弾 さ れ 、窮 地 に 陥 る こ と も 、な い わ け で は あ り ま せ ん 。特 に 、 上 流 層 の 、 こ の 手 の 不 祥 事 に は 、 ナ ン バ ー ・ ワ ン 政 務 官 で あ る 執 政 官 よ り も 更 に ス テ イ タ ス の 高 い 「 戸 口 調 査 官 」 が 、 か な り 重 度 の 制 裁 を 科 し ま す の で 、 油 断 は で き な い の で す 。 時 代 が 下 る に つ れ て 、 家 長 を 縛 っ て い た 社 会 的 義 務 は 、 法 的 な 義 務 へ と 格 上 げ さ れ て 、 タ テ マ エ の 世 界 に 取 り こ ま れ ま す が 、 全 体 と し て 見 た 場 合 、 法 と そ の 他 の 社 会 規 範 と の 間 に は 、 い わ ば 「 テ リ ト リ ー 協 定 」 の よ う な も の が 、 暗 黙 の 内 に 横 た わ っ て い た 、 と 言 え る か も し れ ま せ ん 。 こ れ は 、 法 治 国 家 であ る 現 代 の 日 本 に お け る 情 況 と 、 同 じ よ う な も の で し ょ う 。
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https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/61ff4100-b754-45a4-ae38-cd9181a5b909/content
※ 市民とは何かについては、以前述べた。
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