私は、学生時代から英国流の保守主義者(正確に言えば、英国流の日本型保守主義者)なのだが、元教え子とのメールのやり取りの中で、米国の保守主義と何が違うのかと訊かれた。
保守主義は、西洋思想の本流であって、英国では保守党が、米国では共和党が、それぞれ担っているのに、我が国の左翼学者によって傍流扱いされているため、英米の保守主義の違いが理解されていないことに気付かされた。
両者の違いを挙げ出したらキリがないので、権利・自由を例に簡単に英米の違いを説明した上で、英米の保守主義の違いを述べ、ついでに日本についても言及しようと思う。
英国における権利・自由は、抽象的な原理原則から導き出されたa priori rightsア・プリオリ「先天的・先験的」権利(ex.自然権)ではなく、歴史と伝統の中で獲得され、先祖から受け継がれたcommon law「慣習法」上のprivileges「特権」だ。
例えば、マグナカルタには、「また、以下に書かれている朕と朕の後継者が授けるすべての自由特権を、朕の王国の全ての自由人たちもその者らとその者らの後継者のために保有し、維持することを朕は朕と朕の後継者たちの治世において永遠に許可する」とあるように、王から勝ち取った特権であり、身分・職業・地域によって差異があるqualified liberty「限定された自由」なのだ。
これに対し、米国における権利・自由は、創造主たる神から与えられた生まれながらのnatural rights「自然権」であって、a priori rights「先天的・先験的権利」だ。
例えば、アメリカ独立宣言には、「すべて人は平等に造られ、創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む奪うことのできない一定の権利を与えられている。」とあるように、普遍的な権利(人権)であって、国家や歴史・伝統に由来するものではない。
同じ「自由」と訳されるけれども、英国のそれは、prescriptive right「歴史的権利」・「時効取得された権利」・「慣例による権利」であって、a posterioriア・ポステリオリ「後天的」なliberty「自由」であるのに対して、米国のそれは、natural rights「生まれながらの権利」・「自然権」であって、a prioriア・プリオリ「先天的・先験的」なfreedom「自由」なのだ。
同様に、同じconservatism「保守主義」と言っても、英国では、歴史と伝統に裏打ちされた社会秩序をconserve「保守する」のに対して、米国では、抽象的な原理原則である建国の理念をconserve「保守する」点で、両者は異なるのだ。
英国の保守主義は、動物や奴隷のような扱いをされずに、人間らしく生きる権利というhuman rights「人権」を否定するものではないが、これは、最低限度の権利・自由(低級・低俗な権利・自由)であって、英国民の歴史・伝統に基づく国民権(高級・高貴な権利・自由)とは異なる。
ところで、日本は、幕末まで、歴史・伝統の連続性を大切にし、慣習法に基づく特権が相続されてきたので、英国の保守主義と極めて親和性が高い。
ところが、以前述べたように、不平等な日米修好通商条約を改定するため、西洋の法典を翻訳して、我が国の国情に合わせて修正しようとしてしまった。
しかも、日本の伝統的価値観と米国の建国の理念とは本質的に異質であるにもかかわらず、戦後、GHQの指導の下、アメリカ合衆国憲法の影響を多大に受けた日本国憲法が作られてしまった。
つまり、日本は、精神的・文化的には英国の保守主義に近いのに、制度的には米国的理念が骨格となってしまった結果、twisting phenomenon「ねじれ現象」が生じ、日本の政治・社会に多大な弊害を生んでいるのだ。
我が国では、左翼が学会の主流であるため、日本の文化的土壌とは相容れない米国のliberalismリベラリズム「左翼的自由主義・平等主義」に表面的に同調することを通じて、日本の伝統・文化・社会・家庭を破壊し、社会主義・共産主義を実現しようとしている。
しかし、英国の保守主義を日本の歴史・伝統に根ざした形で再解釈し、日本型の保守主義に再構築する方が、日本のアイデンティティーに整合し、社会が安定・継続すると考える。
荷が重くてなかなか先に進めないでいるが。。。
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