元生徒 せんせ〜?先生ッ!
老先生 先生、先生とうるさい奴じゃの〜
居眠りぐらいさせてほしいものじゃ。せっかく皆藤愛子ちゃんと仲良くチョコレートパフェを食べている夢を見てたのに!
元生徒 ぷッ!笑 先生は相変わらずですね♪笑
老先生 むッ!なんじゃ、その方か!もうそちは学生ではなく、市役所職員なんじゃから、こんなところで油を売っていてはいかんではないか。
元生徒 いや〜今日は代休日なんで、久しぶりに先生のお顔を拝見したくなって♪
老先生 ふむ。まあよい。楽しい夢を邪魔した罰じゃ!答えてみよ。
新規採用職員の辞令交付式の後に行われた宣誓式において、宣誓書に署名したと思うが、なぜ宣誓をしたんじゃ?
元生徒 あ〜あれですか。地方公務員法に服務の宣誓をしなければならない(地方公務員法第31条)と定められているからですよ♪
老先生 なぜそのように定められておるのじゃろうか?
元生徒 憲法が、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」(憲法第15条第2項)、 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(憲法第99条)と定めているからです。
老先生 その方はまだまだ半人前の職員じゃの〜
法律や憲法に書いてあるからだ、な〜んて説明で、住民の皆さんのご理解を得られると思おておるのかの?
その条文が定められた趣旨から説明せねば、ご納得を得られんぞ。
元生徒 せんせ〜、ラブリーな居眠りを邪魔したことは謝りますから、もう勘弁してくださいよ〜♪笑
老先生 仕方のない奴じゃ!笑
公務員が全体の奉仕者として行う職務は、常に人権侵害の危険性を伴うため、新たに職員になった者は、人権保障を定める憲法を守ると宣誓するわけじゃ。
元生徒 なるほど。憲法って、公務員による人権侵害から国民を守るために制定されたものですもんね♪
老先生 その通りじゃ。だからこそ公務員には憲法尊重擁護義務(憲法第99条)が課されておるのじゃ。
cf.1地方公務員法
(服務の宣誓)
第三十一条 職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。
cf.2某市の「職員の服務の宣誓に関する条例」
(服務の宣誓)
第2条 新たに職員等となった者は、任命権者又は任命権者の指定した者に対し、別記様式による宣誓書に署名し、自ら提出してからでなければそ の職務を行ってはならない。
老先生 では、宣誓は誰に対して行ったのかの〜?
元生徒 そりゃ〜任命権者である市長に対してです。
老先生 確かに、宣誓は、形式的には任命権者(市長)に対して行われるのじゃが、公務員の全体の奉仕者性から、実質的には住民全体に対して行うものなんじゃ。
元生徒 そうだったんですか!
老先生 では、そちが行なった宣誓は、何によって担保されておるのかの?
元生徒 えッ?う〜ん、考えたことがありませんでした。。。分かりません。。。
老先生 キリスト教国においては、宣誓は神の制裁によって担保されておるんじゃ。
キリスト教が入る前のヨーロッパでは、宣誓は自己呪詛(じゅそ)であって、 誓いに反した場合には呪力の復讐を受けると考えられておったのじゃが、キリスト教の普及によって呪力の復讐が神の制裁に置き換わったというわけじゃ。
元生徒 でも、我が国はキリスト教国ではないですよね?
老先生 その通りじゃ。じゃから、我が国においては、もっぱら職員個人の良心と自覚によって宣誓が担保されているにすぎんのじゃ。
元生徒 なんだか心許ないですね。苦笑
老先生 宗教に熱心だからというて倫理観が高く、マナーが良いとは限らん。宗教に熱心な諸外国の道路を見てみよ。ゴミだらけじゃ。
我が国の自治体職員は、倫理観が高いので、宣誓の実効性はかなり担保されておると思うておるんじゃ。
元生徒 な〜んか、褒められちゃったみたいで、嬉しいです!笑
老先生 調子のいい奴じゃ!笑
明治以降、欧米から移入した法制度のほとんどは、ゲルマン文化、古代ギリシャ・ローマの文化及びキリスト教文化を背景としておるんじゃ。例えば、そちが学生時代に熱心に勉強していた民事訴訟法の証明責任もキリスト教を背景にしておるんじゃよ。
元生徒 えッ?!そうなんですか?
老先生 うむ。民事訴訟の対象は、権利義務じゃ。権利義務は、目に見えないので、裁判所は、権利義務があるかどうかを直接判断できん。
そこで、権利義務の発生・変更・消滅(法律効果)を定める民法の規定(法律要件)に当てはまる事実があるかどうかによって、権利義務があるかどうかを判断するわけじゃ。
この事実があるかどうか(事実認定)は、証拠によって判断される(証拠調べ)。証拠調べの結果、事実の有無が明らかになればよいが、明らかにならない場合(真偽不明・ノン・リケット)もある。
しかし、事実が明らかにならないからというて、裁判所は、これを理由に裁判を拒否できない。国民には裁判を受ける権利が保障されておるからじゃ(憲法第32条)。
そこで、考え出されたテクニックが証明責任じゃ。すなわち、訴えを起こした人(原告)も訴えられた人(被告)も、裁判に勝つためには、自分に有利な法律効果を定めている規定に当てはまる事実を主張し、これを証拠によって裁判官に十中八九間違いなしと確信(証明)させなければならず、これを証明できなければ、その自分に有利な法律効果を裁判所に認めてもらえなくなるわけじゃ。このような不利益を負うことを証明責任と呼ぶんじゃな。
元生徒 うわー懐かしい。昔勉強しました♪
例えば、Bが借金を返済しないことを理由に、AがBを被告として貸金返還請求訴訟を提起した場合に、原告Aが裁判に勝つためには、AがBに対して貸金返還請求権を有していること(←Aにとって有利な法律効果)を裁判所に認めてもらう必要があります。
民法587条は、①金銭の授受と②返還約束があれば、貸金返還請求権が発生すると定めています。
そこで、AがBに対して貸金返還請求権を有していることを裁判所に認めてもらうためには、法律要件である①と②に当てはまる事実を主張し、これを証拠(ex.預金通帳や目撃者、借用書など)によって証明する必要があります。もし、Aがこれらの事実を証明することができなければ(←真偽不明)、AがBに対して貸金返還請求権を有していることを裁判所に認めてもらえなくなります。つまり、原告Aの敗訴。
これに対して、Aがこれらの事実を証明した場合には、今度は逆に、被告Bは、自分に有利な法律効果(ex.①弁済、②消滅時効など)を証明しない限り、裁判に負け、Aに借金を返済しなければならないことになります。
老先生 その通りじゃ。裁判に勝つためには、自分に有利な主張をして、これを根拠付けるための証拠を提出しなければならないのじゃ。
たとえ当事者(原告A・被告B)の主張が真実であっても、これを根拠付ける証拠がなければ、裁判に勝てんのじゃよ。
その意味で、欧米人にとって、裁判は、真実を明らかにする場ではなく、ルールに基づくゲームにすぎないわけじゃ。後は神の裁き(最後の審判)に任され、嘘つきは地獄に落とされ、地獄の業火に焼かれるそうじゃ。これが欧米人の発想なんじゃな。
元生徒 ヘェ〜証明責任がキリスト教を背景にしているなんて思ってもみませんでした。
老先生 ちなみに、刑事裁判で裁かれているのは、誰じゃな?
元生徒 そりゃ〜被告人でしょ?
老先生 民事訴訟法は熱心に勉強したようじゃが、刑事訴訟法はそうではないようじゃの〜
刑事訴訟では、被告人は白(無罪)であると一応扱われる(推定無罪)。それ故、被告人が黒(有罪)であることを検察官がすべて証明しなければならんのじゃ。
これに対して、被告人としては、自分が白(無罪)であることを証明する必要はなく、灰色(疑わしい)にすれば(反証)、「疑わしきは被告人の利益に」扱われるので、無罪判決が言い渡されることになる。
つまり、検察官の主張が認められるかどうかが争われているので、刑事裁判で裁かれているのは、実は被告人ではなくて、検察官なのじゃ!
この刑事裁判も、神の裁き(最後の審判)によって担保されておるんじゃ。
元生徒 あちゃー!!
あっ!そうそう。チョコレートパフェではないのですが、先生がお好きな芋焼酎を持参したんで、これでも一杯やりながら、お話の続きをお聞かせください♪
老先生 ホッホホ〜♪♪笑
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