動植物裁判

生徒 せんせい!こんにちは!

老先生 こんにちは。

生徒 先生がご紹介して下さった穂積陳重先生の『法窓夜話』を読んでみました♪ 国内外の逸話が満載で本当に面白いですね!

 ただ、漢文が出てくるところは読み飛ばしてますが。。。苦笑

老先生 面白いじゃろう。確かに、漢文は高校の選択科目じゃから、今の子には漢文が難しいのかも知れんの〜

 西洋では、歴史を経るにつれて、英語、フランス語、ドイツ語などに分かれ、相互の意思疎通がしにくくなったが、知識人階級(王侯貴族、僧侶、学者、イギリスで言うジェントルマン以上の階級)相互間ではラテン語が共通言語だったのじゃ。東アジアでラテン語に相当するものが漢文じゃ。

    西洋では、ラテン語は知識人階級に限定されていたが、我が国では、貧しい庶民の児童であっても寺子屋で漢文を読み書きできた点が国全体の教育レベルの高さを物語っておるの。それが明治維新の原動力になったわけじゃ。何しろ漢文でさらっと冗談を言えるレベルじゃったからの。

 例えば、旧制一高(現:東大教養学部)の記念祭に寮で独り寝ている高校生がいて、枕元に紙が置いてあった。そこには、次のように書いてあったという。

 「寝台白布受之父母、不敢起床孝之始也。」

 この話を魚返善雄(おがえり よしお)先生の本で初めて知った時には爆笑したものじゃよ♪笑

生徒 何が可笑しいのでしょうか???

老先生 えッ?あ、そうじゃの。

 『孝経』の開宗明義章第一に、「身體髮膚受之父母。不敢毀傷孝之始也。」という有名な一節があって、これをもじっておるんじゃよ。

 「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。」

自分の肉体・髪・皮膚は父母から頂戴した恵みじゃから、傷つけないようにするのが親孝行の第一歩だな、という意味じゃ。

 この高校生は、「ベットとシーツは父母から頂戴したものだから、あえて起床しないのが親孝行の第一歩だな。」と言って、寝坊してたわけじゃよ。笑

生徒 昔の高校生も文化祭をサボったんだ〜♪笑

老先生 そっちかいッ!笑

 まあ、高校生向けの漢文の参考書を読んだらよかろう。おそらく今の子に少しでも興味を持ってもらおうと著者が工夫を凝らしておるはずじゃし、世界が拡がって新たな知見を得られるからの。

 そして、まずは、ひとつ一つの文章が短い『論語』から読んでいったらよかろう。ただし、『論語』を「聖典」として読んではならんぞ。孔子は、素性が怪しく、まともな教育を受けずに独学で礼を学び、理想を抱いて、ほんの一時期高官の地位を得た大変な努力家じゃが、夢叶わずに流浪の道を歩んだ、劣等感の塊、ルサンチマンなんじゃ。『論語』は、後世の人が脚色した「聖人孔子」の言行録ではなく、孔子の野望と苦悩、失意と嘆き、弟子たちとの何気ない日常の語らいから垣間見える心の交流など、「人間くさい孔子」を余すことなく表現した「文学」なんじゃよ。必ず心に響く章句があるから、その章句に印を付けながら読むと得るところがある。勉強だとは思わずに、心の琴線に触れる章句を探してみたらよい。

生徒 はい、頑張ります!

老先生 本当は、小学校から漢文を必修にし、常用漢字・現代仮名遣い・口語体を廃止して、正漢字・歴史的仮名遣い・文語体を復活させたら良いのじゃが。

生徒 どうしてですか?

老先生 そうすれば、漢文も古文もスラスラ読めるようになるからじゃ。和漢混淆(こんこう)文で書かれた『太平記』や『平家物語』ぐらいまでは、ほぼ注釈なしでも読めるようになるはずじゃ。『枕草子』や『源氏物語』になると、言葉の意味が変化しすぎて、注釈なしには理解できんが。

 なんにせよ、昔の本を読めないというのは、文化の断絶を意味し、日本人のアイデンティティーを失うことに通ずるのじゃ。

 下記の記事によると、最近では、教科書すら読めない、問題文の意味が分からない生徒が多いそうじゃ。国語の読解力こそが学力の基本。英語を小学校から教えたり、ヒップホップダンスを教えたりするよりも、昔の本を読めるようにすることが先決じゃないかと思うておる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190906-00300847-toyo-bus_all

生徒 おっしゃるように文化の断絶は実感しています。昔の本や戦前の判決文が読めないのはもちろんのこと、褌を締めたことがないし、着物を一人で着れませんから。

老先生 うむ。わしも、六尺褌の締め方は亡父に習っておるが、実際に締めたことはない。小学校の一時期、越中褌を締めておったが、体操着の短パンからポロリンコなので、やめたがの。笑

 現在の教育は、「国際化」・「多文化共生」・「ゆとり」の美名の下に、文化の継承を断絶させ、日本人のアイデンティティーを破壊することを目論んでおるのではないかとすら邪推したくなるわい。

 ところで、『法窓夜話』で気になったエッセーがあったかの?

生徒 はい、「二五 動植物の責任」(後掲)が面白かったです♪ 古代だけでなく、中世ヨーロッパにおいても動植物に刑罰を科していたんだと知って、驚きました!

老先生 わしもそれを初めて知ったときは、随分驚いたもんじゃ。

 西洋中世史がご専門の池上俊一著『動物裁判』(講談社現代新書)には、もっと多くの例が載っておるから、興味があったら読んでみるがよかろう。

生徒 穂積先生は、人に危害を加えた動植物に刑罰を科すのは、復讐によって公衆に心的満足を得させるためであって、それは人類の種族保存性から来るものであるとご説明なさっておられますが、このような理解でよろしいのでしょうか?

老先生 前掲『動物裁判』には、迷信・愚行説、擬人化説、パロディー説、威嚇刑説等が挙げられておるが、西洋史家の間では未だ決着がついておらんようじゃ。

 この点、フランス法社会史がご専門の木村尚三郎先生は、豚裁判に関連して威嚇刑説を採っておられる。

 すなわち、「中世西ヨーロッパの刑罰には、それが過酷であった点で、教育刑的な要素は微塵もなく、また動物も処刑された点で犯罪者の自由意志を重視する客観主義的応報刑の考え方も、そのままの形では認めがたい。そこにある刑罰とは、ひと口でいうなら威嚇刑であった。

 つまり、残酷な刑罰を犯罪者に加えることにより、人びとに畏怖心を起こさせ、同様犯罪の再発、多発を防ごうとするものである。中世西ヨーロッパの刑罰はしたがって、本質的には応報刑でもなければ特別予防の教育刑でもない。それは社会における犯罪の一般予防を目的とする、目的刑であった。豚の裁判は意外に重大な意味をもっていたのである。」と述べられておられる(『西欧文明の原像』(講談社学術文庫)239頁〜240頁)。

 門外漢なので、なんとも答えようがないが、元々ゲルマン民族は、多神教・アミニズムであったが、キリスト教が普及するにつれて、ローマ・カトリックは、ゲルマン民族の土着の宗教を淫祠邪教・愚かな迷信であるとしてこれを排斥し、土着の宗教の聖地の上に教会を建てるようになったんじゃ。そのため、悪霊払いやヒーリングなど、土着の宗教がこれまで担っていた役割を代替せざるを得ないことになり、その一環として動植物に対する科刑が行われたのかも知れんの。

生徒 いろんな見方ができるんですね♪面白そうなので、ご紹介して下さった本を読んでみます!

ありがとうございました。


cf.青空文庫より転載。

穂積陳重著『法窓夜話』「二五 動植物の責任」

「近世の法学者は、自由意思の説によって責任の基礎を説明しようと試みる者が多い。人は良心を持っている。故に自ら善悪邪正を弁別することが出来る。人の意思は自由である。故に善をなし悪を行うは皆その自由意思に基づくものである。かく弁別力を具えながら、なお自由意思をもって非行を敢えてするものがある。人に責任なるものが存するのはこの故に外ならない。しかるに禽獣草木に至っては、固より良心もなく、また自由意思もない。随って禽獣草木には責任が存する道理がないのであるというのが、その議論の要点である。しかしながら、近世心理学の進歩はこの説の根拠を覆えし得たのみならず、歴史上の事実に徴してもこの説の大なる誤謬であることを証拠立てることが出来ようかと思われる。  

 原始社会の法律を見るに、禽獣草木に対して訴を起し、またはこれを刑罰に処した例がなかなか多い。有名なる英のアルフレッド大王は、人が樹から墜ちて死んだ時には、その樹を斬罪に処するという法律を設け、ユダヤ人は、人を衝き殺した牛を石殺の刑に行った。ソロンの法に、人を噬んだ犬を晒者にする刑罰があるかと思えば、ローマの十二表法には、四足獣が傷害をなしたときは、その所有者は賠償をなすかまたは行害獣を被害者に引渡して、その存分に任すべしという規定があり(Noxa deditio[#岩波文庫の注は「noxa deditio という表現はなく noxae deditio ないし noxae datio」とする])、またガーイウス、ウルピアーヌスらの言うところに拠れば、この行害物引渡の主義は、幼児または奴隷が他人に損害を与えたとき、または他人が無生物から損害を受けたときにも行われ、その損害の責任はその物または幼児らに在って、もしその所有者が為害物体を保有せんとならば、その請戻しの代価として償金を払うべきものであったとの事である。  

 啻に原始時代においてのみならず、中世の欧洲においても、動物に対する訴訟手続などが、諸国の法律書中に掲げられてあること、決して稀ではない。フランスの古法に、動物が人を殺した場合に、もしその飼主がその動物に危険な性質のあることを知っていたならば、飼主と動物とを併せて死刑に処し、もし飼主がこれを知らないか、または飼主がなかった場合には、その動物のみを死刑に行うという規定があったほどであって、動物訴訟に関する実例が中々多い。今その二三を挙げてみよう。   西暦一三一四年、バロア州(Valois)において、人を衝き殺した牛を被告として公訴を起したことがあるが、証人の取調、検事の論告、弁護士の弁論、すべて通常の裁判と異なることなく、審理の末、被告は竟に絞台の露と消えた。その後ちブルガンデー州(Burgundy)でも、小児を殺した豚を法廷に牽き出して審問、弁論の上、これを絞罪に処したことがある。なお一四五〇年にも豚を絞罪に処した事があったとのことである。  

 仏国の歴史家ニコラス・ショリエー(Nicholas Chorier)は、こういう面白い話を述べている。一五八四年ヴァランス(Valence)において、霖雨のために非常に毛虫が涌いたことがあった。ところが、この毛虫が成長するに随ってゾロゾロ這い出し、盛んに家宅侵入、安眠妨害を遣るので、人民の迷惑一通りでない。遂には村民のため捨て置かれぬとあって、牧師の手から毛虫追放の訴訟を提起するという騒ぎとなり、弁論の末、被告毛虫に対して退去の宣告が下った。ところが、被告はなかなか裁判所の命令に服従しない。これには裁判官もはたと当惑し、如何にしてこの裁判の強制執行をしたものかと、額を鳩めて小田原評議に日を遷す中に、毛虫は残らず蝶と化して飛び去ってしまった。  

 シャスサンネ(Chassan※(アキュートアクセント付きE小文字)e)という人があった。オーツン州で鼠の裁判に弁護をしたので世人に知られ、遂に有名な状師となった。同氏は、鼠に対する公訴において種々の理由の下に三度まで延期を請求したが、第三回目の召喚に対しては、こういう面白い申立をした。

 当地には猫を飼養する者が多いから、被告出廷の途次、生命の危険がある。裁判所は、被告に適当の保護を与えんがために、猫の飼主に命じて開廷日には猫を戸外に出さないという保証状を出させてもらいたい。 裁判所は大いに閉口した。召喚に際して適当の保護を与えるのは、固より当然のことであるから、その請求はこれを斥ける訳には行かない。さりとて、その請求の実行は非常な手数である。そこで、裁判は結局無期延期ということになった。  

 このように、動植物または無生物に対して訴訟を起し、あるいはこれを刑罰に処するというのは、甚だ児戯に類したことのようであるけれども、害を加えた物に対して快くない感情を惹起すのは人の情であって、殊に未開人民は復讐の情が熾であるから、木石を笞って僅に余憤を洩す類のことは尠なくない。して見れば、未開の社会に無生物動植物を罰する法があったとて、強ち怪しむには足るまい。

 子のあたま、ぶった柱へ尻をやり という川柳があるが、この法の精神を説明し得たものといってもよかろう。  

 刑罰を正義の実現であるとする絶対主義は、非常に高尚な理論で、目をもって目に報い、歯をもって歯に報ゆる復讐主義は、甚だ野蛮の思想であるかの如く説く学者も多いが、元来絶対主義論者が信賞必罰は正義の要求であるとするのも、復讐主義において害を加えたる木石禽獣または人類に反害を加えて満足するのも、畢竟同じ心的作用即ち人類の種族保存性から来ているのである。この二主義が同一系統に属するものであるという事は、絶対主義の主唱者とも言うべきカントが、刑法は無上命令(Categorischer Imperativ)なりと言い、たとい国を解散すべき時期に達したとしても、在監中の罪人はことごとく罰せねばならぬと論じ、同時にまた刑罰は反座法(Jus talionis)に拠るべしと言ったのでも知る事が出来よう。  

 また一方において、相対主義論者は、刑罰は社会の目的のために存しているという。なるほどそれには違いないが、その目的の中には、直接被害者たる個人、およびその家人、親戚並に間接被害者たる公衆の心的満足というものをも含んでいることを忘れているのは、確かに彼らの欠点である。形こそ変れ、程度こそ異なれ、木を斬罪にし、牛を絞刑にし、「子のあたまぶった柱」を打ち反す類の原素は、文明の刑法にも存してしかるべきものである。いわゆる「正義の要求」とは、この心的満足をいいあらわしたものではあるまいか。学者は、往々この情性を野蛮と罵って、一概にこれを排斥するけれども、これ畢竟刑法発達史を知らず、且つまたこの報復性は、種族保存に必要な情性であって、これあるがために、権利義務の観念も発達したものであることを知らないからである。」

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