1 慣習の意義
下等動物には、本能に基づく行動様式が先天的にインプットされており、誰に教えられることなく、本能に基づいて行動する。
これに対して、我々人間には、本能はあっても、反射運動等を除き、本能に基づく行動様式が生来的にインプットされていないため、後天的な学習によって本能を制御しなければならない。もし学習によって本能を制御できなければ、自他を傷つけ、社会に混乱をもたらし、人間の皮を被った獣として社会的制裁を受けることになる。
我々人間には本能に基づく行動様式がないことから、これに代わるものとして自然発生的に生まれたものが慣習だ。
慣習は、言語と同様に、何らかの抽象的な原理・原則から演繹されたものでもなければ、特定の誰かが一方的に決めたものでもなく、長年、先人たちが試行錯誤しながら幾多の実地テストを経て自然発生的に形成された叡智であって、人は慣習を学びこれに従うことによって初めて本能を制御でき、真人間になる。この意味で慣習は、祖先から受け継いだ相続財産であって、これを破壊から守り、将来世代へと受け渡すことが大切になる。
例えば、世界中のどの民族・部族であっても、戦争状態にあるなどの特段の事情がない限り、初対面の人にいきなり襲い掛かることはないが、本能的に初対面の人に対して警戒心を抱く一方で、相手が危害を加える意思がないことを伝える挨拶をすれば、警戒心を緩めるようにできている。
ただ、どのような挨拶をするのかという行動様式はインプットされていないため、民族・部族によって挨拶のやり方は、お辞儀、握手、ハグ、鼻をくっつけるなど、区々であるから、同じ民族・部族同士の挨拶のやり方と他の民族・部族の挨拶のやり方を学ぶ必要がある。
挨拶を学んで実践しなければ、警戒心を抱かれたままで信用されないだけでなく、場合によっては敵と見做されて攻撃を招くおそれがあるからだ。
ちなみに、このような慣習が法だと確信されると、慣習法になる。慣習法は、欧米では現在でも主要な法源であるし、我が国でも江戸時代までは主要な法源だった。
2 教育の目的
ところで、40年ほど前に読んだ『ふらんすエチケット集』(白水社文庫クセジュ)という本がある。著者のジャン・セールは、1893年に生まれ、文学博士で長年フランスの外交官を務め、フランスで最も権威のある『実用儀典提要』の著者だ。
ジャン・セールは、「礼儀作法とは、共同生活に必要不可欠な、伝統的規律を守ろうと努めることである。礼節(politesse)とは、礼儀作法の規律を実行する場合に、繊細な心をもってすることである。繊細な心とは、心の善良さ、温かさ、そしてついには隣人愛(charité)[慈悲心、カトリックの訳語では、愛徳という]などを基礎にしてこそ存在しうる。日々の行為に、「自分にされていやなことは、他人にもするな」ということをモットーにしていれば、自然と自分の行為が制御されて、他人に不愉快な思いなどをさせることがなくなる。このように、礼節を知ることは、しきたりが冷い機械的な規律になりはてようとするのを押さえて、人間社会に必要な温かみを生まれさせるのである。」とし、「作法 (bienséance)とは、時と場合に応じた行動をとることである。」と述べている(前掲『ふらんすエチケット集』16〜17頁。太字:久保)。
その上で、「教育の目的は、子供を社会生活に適応させることにある。」と述べている(前掲『ふらんすエチケット集』21頁。太字:久保)。
また、英国のパブリックスクールで行われている上流階級の子弟の教育の目的は、「知性を養うことでもなければ、想像力を養うことでもない。ただ、一人の大人を作り出すことなのである。」と述べ、「このような教育方法のよさ、価値は、この教育の結果である英国紳士を見れば、明らかであろう。」と高く評価している(前掲『ふらんすエチケット集』22頁。太字:久保)。
つまり、己の本能的な行為を制御し、互譲の精神に基づいて「自分がしてほしいと思うことを、他人にもする」ことにより、自他の自由を損なうことなく、調和のとれた温かみのある社会生活を営めるようにすること、すなわち、礼儀作法という慣習を学ばせ、これを実践できる一人前の大人にすることが教育の目的だというのだ。
いちいち証拠となる書籍を引用しないが、このような考え方は、西洋思想の本流であって、我が国で流行っているジャン・ジャック・ルソー、ジョン・デューイなどの狂った思想を背景としたジェンダー・フリー教育やゆとり教育などは、異端にすぎない。また、教育は、本能的な行為に一定の箍(たが)を嵌(は)めるもの以上、その本質は強制であって、子供の意思や個性を最大限に尊重しようとする放任教育は、教育ではない。
3 戦国時代の伝統的な教育
我が国の伝統的な教育の目的も、西洋の伝統的な教育と同じであったが、西洋よりも優れていた点があったようだ。
例えば、35年間、日本で布教に努め、長崎で生涯を終えたイエズス会宣教師ルイス・フロイス司祭(1532年〜1597年)は、「ヨーロッパの子供は青年になっても口上(レカード)ひとつ伝えることができない。日本の子供は十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。」と述べている(ルイス・フロイス著・岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)65頁)。
岡田氏は、「『小児必用養育草』に、「諸礼習フべき事なり。小笠原家などにては、八歳の時分より、素礼百返と定めて、毎日ならはしむる事なり。躾形(しつけかた)立廻りよく、畳ざはり膝まはし、進退度にかなへば、脇ざしの鞘も物にあたらず、敷居越に心をつけ、畳の縁をふまぬ事など、自然となれて、長(おとな)になりて人前に出ても、立居ふるまひしとやかにして、武士たらんものは、他国へ使者へゆき、又は他所より来る使者をとりつぎても、使者奏者の役、共によろしきなり、」とあり、使者となることが、諸礼を習う目標とされていたのである。」と注を付しておられる(下線:久保)。
口上と言えば、思い出したことがある。小学4年生だった私も、12月下旬、母の言付けで、つきたてのお餅を畳半畳ほどの大きな木箱に沢山詰めて風呂敷に包み、自転車の荷台に乗せて、長くて急な坂道をハンドルを取られないように慎重に押しながら、父の上司であるご重役の邸へ運んだことがある。出かける前に母に復唱させられた通りに、重い木箱を持ちながら、玄関先で「父久保何某の名代(みょうだい)としてまかり越しました賢高と申します。誠に恐れ入りますが、奥様に御目通りを賜りたく、お取次をお願い申し上げます。」と家政婦さんに口上を述べ、華やかな着物姿の奥様にお餅をお渡しして、無事に使者の役目を果たせた時には、一人前になれたような気がしたものだ。もっとも、この程度のことは、商家の丁稚(でっち)でもできることで、決して一人前とは言えないのだが、このような「子供の使い」を何度もさせることにより経験を積ませたわけだ。
また、フロイスは、「われわれの子供はその立居振舞に落着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞賛に値する。」と述べている(前掲・『ヨーロッパ文化と日本文化』66頁)。
さらに、興味深いのは、フロイスが「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ[言葉?]によって譴責(けんせき。ルビ:久保)するだけである。」と述べている点だ(前掲・『ヨーロッパ文化と日本文化』64頁)。
岡田氏は、「フロイスの一五六五年二月二十日付、都発の通信には「子を育てるに当たって決して懲罰を加えず、言葉を以て戒め、六、七歳の小児に対しても七十歳の人に対するように、真面目に話して譴責する。」と記している。」と注を付しておられる。
つまり、我が国の伝統的な教育は、体罰とは無縁だったのだ。軍隊から戻った教師が教育現場に体罰を持ち込んだと言われているが、軍隊での体罰を誰が始めたのか、いずれ調べたいと思っている。
戦乱に明け暮れた戦国時代においてすらこのような立派な教育が行われていたのは驚きだ。
4 江戸時代の伝統的な教育
天下太平の江戸時代になると、より一層教育に力が入れられるようになる。武士の子供は、腰に刀を指し、幼き頃より武術を習っているので、本能的行為に箍(たが)を嵌(は)めなければ、刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こしてお家お取り潰しになってしまうし、また、戦がなくなって武勲で栄達をはかることができなくなったからだ。
諸藩は、藩士の子弟を教育するための学校(藩校)を設置したのだが、藩校へ入学する前には家庭や寺子屋で読み書き算盤を学んだ。
江戸時代の教育と言うと、「封建的だ!」と頭から悪いものと決め付け、内容を理解しようとすらしない人が多い。
しかし、幕末・明治に綺羅星の如く天才・秀才を輩出して国難を乗り越えることができたのは、江戸時代の教育が優れていたからに他ならない。
以下、一例として戊辰戦争で敵同士だった会津藩と薩摩藩を挙げるが、虚心坦懐に読んでいただきたい。現代でも十分通用する内容だとご理解いただけるはずだ。
まず、白虎隊で有名な会津藩には、藩校へ入校する前の藩士の子弟の心得として、「什の掟」(じゅうのおきて)が定められていた。「什の掟」は、単純明快で幼児教育にぴったりだ。
https://nisshinkan.jp/about/juu
そして、会津藩では、日新館と呼ばれる藩校に入校すると、「日新館の心得」を学んだ。「日新館の心得」は、理に適っていて分かり易く、小学生や中学生にぴったりだ。
https://nisshinkan.jp/about
これに対して、薩摩藩でも、「出水兵児修養掟」(いずみへこしゅうようおきて)が定められていた。これは、子供だけでなく、我々大人にも十分通用する。
https://www.city.kagoshima-izumi.lg.jp/page/page_40056.html
また、「島津日新公いろは歌」も定められていた。
http://www3.synapse.ne.jp/hantoubunka/kasedainfo/irohauta.htm
では、庶民の教育はどうだったのかというと、武士の子供と同様に、寺子屋で読み書き算盤を学んだ。漢文は、東アジアの知識人の共通言語だが、庶民の子供でも、『論語』などの四書五経を誦(そらん)じることができたのは日本だけだ。
このような庶民の教育に重大な影響を与えたのは、貝原益軒(かいばら えきけん)先生だ。初めて儒学を庶民向けに分かり易く説いて、庶民の子供にも教育を受けさせるよう啓蒙したからだ。貝原先生には、『和俗童子訓』、『大和俗訓』、『家道訓』などの著作があり、いずれも大ベストセラー・ロングセラーとなった。現代語訳は、責任編集松田道雄『貝原益軒』(中公バックス日本の名著)で読める。その教えの多くは、今でも通用する内容だ。
大事なことは、武士の子供も庶民の子供も伝統的な教育を受け、教育レベルにおいて大差がなかったことだ。これが明治維新の原動力になったし、いわゆる民度の高さにつながったのだ。
明治の子供は、日本と自分の前途に不安を抱いたと思う。「天は自ら助くる者を助く」(Heaven helps those who help themselves.)で有名なサミュエル・スマイルズの『自助論(セルフ・ヘルプ)』は、明治4年に中村正直先生によって『西国立志編』という書名で翻訳され、福沢諭吉先生の『学問のすヽめ』とともにベストセラーになった。
この『自助論』は、約三百人の成功談を編集したもので、これに触発されて作られたのが文部省の『尋常小学校終身書』だ。いずれも素晴らしい内容で、現代でも十分に通用する。
新渡戸稲造先生の『武士道』とともに、サミュエル・スマイルズの『品性論』をも子供に学ばせれば、道徳教育は必要かつ十分だとさえ言える。
6 現代における家庭教育の重要性
ところで、Tシャツにジーンズというような普段着やジャージ等のスポーツウエアで授業を行う教師が多い。このようなTPOを弁えない礼儀知らずの馬鹿教師(「一人前の大人」になっていない半人前が教師をしているのだから、世も末だ。)に注意すらしない校長や教育委員会・文科省には期待できないから、江戸時代以上に家庭教育の重要性が高まっている。
換言すれば、家庭で伝統的な教育を受けた者とそうでない者の二極分化が進み、将来的には、我が国の特長であった道徳的優位性(勤勉性・規律正しさ等)が失われて社会が乱れ、国力が衰えるのではないかと危惧している。杞憂に終わればよいのだが。
なんだか憂鬱な結論になってしまったが、以前、このブログでも紹介した映画『殿、利息でござる!』をご覧になれば、江戸時代の庶民の教育が如何に優れていたかを実感できるし、エンタテイメントとしても面白いと思う。
この『殿、利息でござる!』は、2020年6月24日(水) 23:59までGyao!で無料配信中なので、見逃された方はぜひご覧いただきたい。
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