暗黒時代の再来

 中世ヨーロッパでは、カトリック教会により天道説が採られ、地動説は異端とされた。

 現代日本では、天道説ならぬ狂ったカルト宗教である社会主義が支配している。息苦しくて仕方がない。


 今、国会で高校授業料の無償化をめぐる議論が行われている。現在、所得制限付きの国の支援に、一部自治体が独自に上乗せ支援をしているが、それが自治体間の「格差」にもなっている。


 しかし、そもそも教育の無償化は、『共産党宣言』に明記された社会主義政策だ。左翼に牛耳られた自治体がこれを忠実に実現すべく、選挙目当てのばら撒き行政の結果として、自治体間の「格差」が生まれているのだ。


 この「社会で子供を育てましょう」という考えは、家族消滅論を前提としている。家族消滅論とは、 将来の共産主義社会においては家族は消滅する運命にあるという理論だ。共産主義社会が実現すれば、一夫一婦制・家族制が消滅し、かつて原始社会において行われていたとされる乱交が復活するという(現在の学会は、モルガンの乱交説が誤りであるとしている。)。乱交は、今日、自由恋愛と言い換えられている。

 家族消滅論の根拠は、主張者によって多岐に分かれるが、最も有力なのは、女性解放論と結びついた家族消滅論だ。


 エンゲルスは、「歴史に現われる最初の階級対立は、一夫一婦制における男女の敵対関係の発展と合致し、また最初の階級抑圧は、男性による女性の抑圧と合致する」と述べている(『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫・86頁)。

 具体的には、「近代的個別家族は、妻の公然または隠然の家内奴隷制のうえに築かれており、そして近代社会は、個別家族だけをその構成分子とする一つの集団なのである。今日、すくなくとも有産階級では、夫は大多数のばあい稼ぎ手であり、家族の扶養者でなければならないが、このことは彼に支配者の地位を与えるのであって、これは法律上の特権を一つも必要としない。夫は家族のなかでブルジョアであり、妻はプロレタリアートを代表する。」と位置付けている(97頁)。

 その上で、このような一夫一婦制における男女の階級対立を解消するための方法を述べている。

 すなわち、「近代的家族における夫の妻にたいする支配の独特な性格や、夫婦の真の社会的平等を樹立する必要性ならびに方法も、夫婦が法律上で完全に同権となったときにはじめて、白日のもとに現われるであろう。そのときには、女性の解放は、全女性が公的産業に復帰することを第一の前提条件とし、これはまた、社会の経済的単位としての個別家族の属性を除去することを必要とする、ということがわかるであろう。」と述べている(98頁)。

 つまり、男女同権女性の経済的自立一夫一婦制・家族制度の廃止が、男性による女性の抑圧から女性を解放するというわけだ。


 例えば、弁護士の海渡雄一氏と事実婚をしている社民党党首の福島瑞穂参議院議員は、個人レベルでエンゲルスの家族消滅論を実践することを表明している(実践したかどうかは、不明だ。)。

 すなわち、「私は、子供が18歳になったら“家族解散式”というのをやろうと思っていて、それ以降は、パートナーと子供ともスープのさめない距離に住んで、名実共に個人単位で暮らしていきたいなと思っている。家族だって、ひとつの定義にすぎない。家族も個人のネットワークなんだ。」(『結婚はバクチである』大和書房)、「子どもが18歳になれば、『ご勝手に』と言いたい。365日、24時間、他人の干渉なしに生きて、自分でも白紙の人生をどう生きるか考えたらいいし、私もそうしたい。私の場合は、子どものごはんや休みのいろんなやりくりをすることから『解放』されたいのだ。バンザーイ」(『福島瑞穂の落第子育てノート』主婦の友社)と述べている。

 親権者の監護及び教育の権利義務(民法第820条)や保護責任者遺棄罪(刑法第218条)がなければ、ルソーを見習って、子供が18歳になる前に孤児院に捨てたかも知れない。


 ソ連は、国家レベルで、これを実践し、法律婚主義(事実上の結婚を法律上の婚姻と認めず、一定の法的手続によってはじめて法律上の婚姻と認める立法主義)を廃止して、事実婚主義(事実婚を直ちに法律上の婚姻と認める立法主義)を採用した。人類史上、最も愚かな法律の一つであり、実りなき大いなる誤りであった。

 すなわち、1926年のロシア社会主義共和国連邦結婚・家族法典において、事実婚主義を採り、1944年まで続いた。

 事実婚主義を採る以上、重婚を認めざるを得ず、実際、事実上の妻が二人いる夫が亡くなった場合に、二人の妻は、ともに正式な妻として相続権を認める判例も存在する。

 この結果、道徳的・性的退廃を生み、一夫一婦制・家族制度が崩壊し、未成年者の非行が増加したため、さすがのソ連も音を上げて、法律婚主義に戻したほどだ。


 デュルケームを持ち出すまでもなく、社会の基礎は、家族だ。家族の連帯感が親族、地域、国への連帯感を育む。この連帯感を喪失すると、anomieアノミー(社会的規範が失われ、社会が乱れて無統制になった状態)になって、精神障害がなくても恐ろしいことを平気でやるようになるのだ。


 日本においても、「キレた」子どもの成育歴を調査すると、いじめなどの学校要因よりも、家庭要因が著しく顕著だった。つまり、「キレた」子どものほとんどが壊れた家庭の子どもだった

 親の暴力・体罰、酒依存・酒乱、遊興、服役、薬物使用、離婚、夫婦不仲、再婚、家族離散、養育放棄、過保護・過干渉、無関心など、破綻した家庭が要因のほとんどを占める。

 人間は、温かい健全な家庭で養育されてはじめて真人間になるのだ。「ヒト」は、温かい健全な家庭、共同体の伝統・慣習等の中で育まれてこそ「人」になるのであって、さもなければただの「裸のサル」にすぎず、人間らしく生きられない生き物なのだ。

 ↓ クリックすると、PDFがDLされるので、ご注意を。

 国立教育政策研究所内「発達過程研究会」『「突発性攻撃的行動および衝動」を示す子どもの発達過程に関する研究ー「キレる」子どもの成育歴に関する研究ー』


 つまり、ソ連の愚行や日本の調査から明らかなように、社会は、温かい健全な家庭の代わりになり得ないにもかかわらず、日本は、一夫一婦制・家族制を破壊すべく、いまだに「社会で子供を育てましょう」と愚策を続けている

 例えば、文部科学省生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室が事務局を務めた「 今後の家庭教育支援の充実についての懇談会」は、平成14年7月19日『「社会の宝」として子どもを育てよう!(報告)』という報告書を提出している。

 「子育ては、 親だけが担うことだと思っていませんか? そうではありません。 子どもを育てることは未来の日本を支える人材を育てることです。 社会の一人一人、みんなが主役なのです。 子どもの成長を社会全体で支え喜び合いましょう。」と、家庭教育支援が本務なのに、その実、社会主義を提言している。

 馬鹿か!共産主義・社会主義という狂ったカルト宗教による侵食を防ぎ、一夫一婦制・家族制を大切に守ることにつながる家庭教育支援策を提言しろ!

 今、国会で議論されている高校授業料の無償化が実現したら、今度は、実質的平等を実現すべく「体験格差」の是正が国会で議論されることだろう。

 維新の志士たちは、貧しい下級士族が多く、「体験格差」があったが、偉人になっていることからも分かるように、「体験格差」論は、社会主義を推進するための方便にすぎない。


 マスコミや政治家は、口を開けば、少子化対策として子育て支援を充実させるべきだと言うが、少子化対策を大義名分として社会主義を推進したいだけだ。

 世界的に見たら、日本の子育て環境は、決して悪くない。日本に対して批判的な英国のBBCが最も子育てしやすい5か国として、真っ先に日本を挙げているぐらいだ。

 ちなみに、カナダは、下記のようなCMを流さなければならないほど、危険であって、BBCが日本は子供達を心配する必要がないほど安全だと強調していることも頷ける。


 日本のマスコミは、高校授業料の無償化、選択的夫婦別姓などの表面的な議論を伝えるだけで、その思想的背景を隠蔽するので、本当にタチが悪い。暗黒時代のようだ。


 教育・子育てをめぐる様々な問題の解決策のヒントが江戸時代の武家教育の中にあることについては、以前述べた。

源法律研修所

自治体職員研修の専門機関「源法律研修所」の公式ホームページ