お門違い

 下記の朝日新聞の記事によると、『週刊新潮』に掲載された高山正之氏コラムにおいて、「1940年、日本が朝鮮人に日本式の姓名に改名するよう強いた政策を引いて「創氏改名2・0」と題し、深沢さんをはじめ俳優や大学教授らの実名を挙げて、「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」と記した」ことについて、作家の深沢潮(うしお)氏が、「新潮社に文書での謝罪と、誌上に批判・反論をするための紙幅を確保するよう文書で求めた」そうだ。

 これに対して、新潮社は、『「週刊新潮」コラムに関する お詫びと今後について』という一文をHPに掲載した。

 まず、朝日新聞の上記記事には、「1940年、日本が朝鮮人に日本式の姓名に改名するよう強いた政策」(下線:久保)とある。


 明治43年(1910年)、日韓併合によって、朝鮮人は日本臣民になった。明治44年(1911年)、朝鮮総督府令「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」により、日本風の名前に変更することを禁止した。日本人と朝鮮人の区別がつかなくなるからだ。


 朝鮮人には、「姓」はあっても、日本人のような「氏」(ファミリー・ネーム)がないことから、日本風の「氏名」を名乗りたいという朝鮮人の要望が高まった。

※  この点、Wikipediaによると、2003年5月31日、麻生太郎・自民党政調会長(当時)が東大における講演会で「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した。自民党総務会で野中広務が麻生を批判した際、その場にいた奥野誠亮が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と述べた( “覆面座談会 永田町に巣食う媚中政治家たちの呆れた言動”. 別冊正論 第一号. 扶桑社 (2006年1月20日))。


 そこで、昭和14年(1939年)11月に、朝鮮総督府は、朝鮮民事令を改正して(公布は、1940年2月)、日本風の氏をつくる「創氏」と、日本風の名に変える「改名」(改名は、完全な任意だったが、裁判所の許可が必要だった。)を認めた。

 南次郎総督が提唱する「内鮮一体」(朝鮮を差別待遇せずに内地(日本本土)と一体化を図る政策)に基づき差別を解消するためだ。


 この点、上記記事と同様に、「創氏改名」が強制されたという言説が世間で流布している。


 確かに、新たに日本風の氏をつくる「創氏」(設定創氏)は、任意とはいえ、6か月以内に新しい「氏」を届け出ない場合には、自動的に従来の朝鮮「姓」が「氏」とされたので(法定創氏)、その意味では強制と言えなくもない


 しかし、一方的に日本風の「氏」に変更されるわけではなく、あくまでも従来の朝鮮「姓」がそのまま「氏」とされただけなので、実害はない

 例えば、朝鮮「姓」の「金(キム)」さんが、勝手に「金田」・「金山」・「金丸」などの日本風の氏に変更されるわけではなく、単に氏が朝鮮「姓」と同じ「金(キム)」になるだけで、従来通り「金(キム)」を名乗ることができたのだ。

 これをもって果たして強制と呼べるのか、甚だ疑問だ


 また、日本風の「創氏」をした場合(設定創氏)も、従来の朝鮮人の「姓」が自動的に「氏」とされた場合(法定創氏)も、朝鮮「姓」は、そのまま戸籍に残されたのであって、朝鮮の「姓」が禁止されたわけではない


 この点、朝鮮民事令改正の公布(1939年11月10日)に際して、南次郎総督は、談話で「本令〔朝鮮民事令〕の改正は申す迄もなく半島民衆に内地人式の「氏」の設定を強要する性質のものではなくして、内地人式の「氏」を定め得る途を拓いたのであるが、半島人が内地人式の「氏」を称ふることは何も事新しい問題ではない。」と述べている(朝鮮総督府官房文書課編『諭告・訓示・演述総攬』1941年、676 頁。下線:久保)。非公式に日本風の「氏」を名乗っていた人々がいたので、「何も事新しい問題ではない」と述べているのだろう。


 なお、例えば、両班(やんばん。李氏朝鮮時代の貴族)出身の洪思翊(こう しよく)中将は、従来の朝鮮の名前のまま、日本の陸軍幼年学校を首席で卒業し、陸軍士官学校、陸軍大学校を経て、大日本帝国陸軍中将にまで上り詰めており、設定創氏・改名しなかったからといって差別されていない。

 むしろ、洪思翊中将は、指揮官として赴任するたびに日本語と朝鮮語で就任挨拶を二度行い、自らの朝鮮人としての誇りを示していたし、帝国陸軍は、このような振る舞いを許容していた。


 また、戦前の衆議院議員選挙法(普通選挙法)では、内地人を含め朝鮮・台湾在住者には選挙権・被選挙権がなかったが、内地居住の日本帝国国籍男子であれば朝鮮人・台湾人であっても法的には平等であり、地方参政権のみならず衆議院議員の選挙権・被選挙権をともに有していた。

 朴春琴(ぼく しゅんきん)氏は、朝鮮の名前のまま東京府4区(本所区・深川区)から出馬し、衆議院議員選挙に当選し、2期務めており、設定創氏・改名をしなかったからといって差別されていない。


 次に、件の高山氏のコラムも深沢氏の小説等も読んだことがないので、コラムの内容自体について、コメントすることは差し控えたい。


 そのため、一般論になるが、仮に、ある在日外国人が、普段から反日的言動をしておきながら、まるで日本人であるかの如き通称を使い続けるというのは、言行不一致だし、何らかの意図をもって日本人になりすまそうとしているのだろうかと、釈然としないのは確かだ。

 また、仮に、ある在日外国人が、「創氏改名」を強制されたと批判しながら、自らの意思で日本人であるかの如き通称を使い続けるというのも、言行不一致で、なんだか釈然としない。


 しかし、どのような政治的立場であろうと、どのような動機であろうと、在日外国人がこのような通称を使うことは、住民基本台帳法第7条第14号・住民基本台帳法施行令第30条の15によって、政令上認められた適法行為なのであって、特定の在日外国人を名指しして批判することは、お門違いだ


 批判されるべきなのは、住民基本台帳法施行令第30条の15によって、在日外国人に公的分野での通称使用を認め続けている歴代内閣と国会なのだ

 日本人がペンネームや芸名などの通称を公的分野で使用して、例えば、登記や契約をすることは、偽名として違法(文書偽造罪)になるのに対して、在日外国人が通称を公的分野で使用して、例えば、登記や契約をすることは、通称(通名)として適法なのであって、これは、まさに在日外国人に日本人に認められていない特権を与えることを意味し、不合理な差別として、法の下の平等(憲法第14条第1項)に違反するからだ


 我が国の外国人政策・制度には、多くの問題点があり、早急に改善すべきなのだが、ヘイトスピーチは、差別主義者というレッテルを貼られることを恐れて、冷静かつ自由な議論を困難にし、問題の改善を遅らせ、逆効果になると考える。


 この通称問題については、かつて述べた。


 小学生のとき、小林旭(あきら)の歌『昔の名前で出ています』(1975年)で、「源氏名(げんじな)」を知った。

 「源氏名」というのは、もともとは『源氏物語』54帖の題名にちなんでつけられた、宮中の女官や武家の奥女中などの呼び名だったが、時代を経るにつれて、遊女や芸者の仕事上の名前も「源氏名」と呼ばれるようになり、現代になると、『源氏物語』とは無関係に、バーやキャバレーのホステスなどが仕事上名乗る名前も「源氏名」と呼ばれるようになった。

 『昔の名前で出ています』というのは、昔名乗っていた「源氏名」を今も使って仕事をしています、という意味だ。







 





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