力を行使することが正義?

 先日、国連のグテレス事務総長が演説したそうで、これを伝える下記の記事には、「結束する世界か。力こそ正義となる世界か」と述べ、国連主導で結束するよう加盟国に呼びかけた、とある(太字:久保)。

 対比としてイマイチで、本当にそんなことを言ったのだろうかと違和感を覚えた。そこで、原文を探したら、やはり違っていた。


 原文と拙訳を載せておく。


"What kind of world will we choose? 

我々は、いかなる世界を選ぶのか。

A world of raw power - or a world of laws?

剥き出しの力(暴力)の世界か、それとも法の世界(法に基づく世界)か。

A world that is a scramble for self-interest – or a world where nations come together?

私利私欲のために争う世界か、それとも国々が団結する世界か。

A world where might makes right – or a world of rights for all?"

無理が通れば道理がひっこむ(力が正義を作る、つまり力こそ正義の)世界か、それとも全ての人に権利がある世界か。


 この演説の是非は、傍に置くとして、やはり上記記事は、間違っていた。might makes right「力こそ正義」とrights for all「全ての人に権利がある」が対比されていた。


 古来より、西洋では、「力こそ正義」、すなわち力で支配することが正義だった。虚心坦懐に西洋史を俯瞰すれば、異論はないはずだ。


 だからこそ、例えば、トマス・ホッブスは、イングランド内戦で国内秩序が崩壊している惨状を見て、どうすれば人間社会に秩序と平和をもたらせるのかと自問自答した。

 『リヴァイアサン』(中央公論社)で、人間の自然状態は、「万人の万人に対する闘争」であって、「自己保存のために力を行使することは正当(right)」だとして、これをnatural right「自然権」と呼んだ上で、自然状態では、人々が常に不安と暴力にさらされるので、危険だとして、皆が安全に生きるために、自然権の一部を放棄して、国家(リヴァイアサン)という絶対的な主権者に権力を集中する社会契約を結び、この主権者が秩序・平和・正義を維持すべきだと考えたわけだ。


 これに対して、ジョン・ロックは、国王ジェームス2世の専制を見て、専制にどう対抗するかを考えた。

 人間は、生まれながらに自然権(生命・自由・財産)をもち、理性に従って行動する限り、自然状態であっても、平和に共存できるが、権利侵害が起きた場合に、法の執行者がいないため、復讐や争いが起きる。そこで、自然状態の不安定さを克服するため、社会契約を結んで、各人が自分の自然権の一部(制裁権)を政府に委ねるべきだと考えた。


 つまり、ホッブスもロックも、「力こそ正義」という事実とそのもたらす惨状を見て、自然権を設定し、社会契約論を構築したわけだ。


 そして、よく知られているように、ホッブスは、国家に主権を委ねたら、抵抗は許されないとして、抵抗権を否定するのに対して、ジョン・ロックは、政府は、国民の自然権(生命・自由・財産)を守るために存在するから、政府が国民の自然権(生命・自由・財産)を侵害したら、国民は政府を打倒して良いとして、抵抗権を肯定する。


 このように西洋の文脈では、might makes right「力こそ正義」とrights for all「全ての人に権利がある」の対比は、よく行われることなのだ。


 そして、rightには、「権利」、「正義」、「正当な力」の意味がある。right「権利」は、イェーリング風に定義すれば、自己の利益を守る法上の力であって、自分の利益を守るために力を行使することがright「正義」なのだ。

 国王や貴族は、力で支配しようとし、これに対抗して民衆は、権利を主張し、お互いに自分こそ正義だと言うわけだ。


 したがって、might makes rightも、rights for allも、特定少数者か不特定多数者かという主体に違いがあるだけで、力を行使することが正義だという点では共通するのだ。

 西洋人にはこの共通点についてまったく自覚がないので、両者を異なるものとして安易に対比するわけだ。

 西洋人の傲慢さは、力を行使することが正義だという考え方に由来する。この考え方が世界に混乱をもたらしているのだ。愚かにも西洋人は、このことに気付いていない。


 この考え方が、国王と国民が血で血を洗う対立を繰り返し、他国を植民地化して原住民を奴隷にし、自然を破壊した西洋文明の特徴であり、限界でもあるのだ。


 以前述べたように、縄文時代は、1万年以上の長きにわたって自然と調和しながら平等で平和な社会を維持し、罰のない世界だった。

 また、天皇と国民が血で血を洗う対立をしたことが一度もない。支那の律令制を移入した際に、誤って国民性にマッチしない奴婢制度も移入してしまったが、結局、奴婢制度は、なし崩し的に消滅した。また、他国を植民地化したこともない。


 ホッブスやロックがこれらの事実を知れば、腰を抜かしただろう。


 我々は、洋学を移入し、その枠内で思考することに慣れてしまって、その枠を超えることができなくなっている。

 今こそ日本文明の独自性を解明することが求められている。









源法律研修所

自治体職員研修の専門機関「源法律研修所」の公式ホームページ