内閣官房参与の高橋洋一嘉悦大学教授がEテレ売却論を主張したそうで、話題になっている。この議論に立ち入るつもりはないが、Eテレの低俗化には、心底辟易(へきえき)している。くだらぬ芸能人の出演が増え、民放のバラエティ番組かと見紛うばかりだ。
昔のEテレには、世界初の教育専門チャンネルらしい良質な番組もあった。例えば、東方学院院長の中村元(はじめ)先生を知ったのは、Eテレ(当時は教育テレビ)の『こころの時代』だった(現在の『こころの時代』は、宗教臭くて見ていない。)。
当初は、恥ずかしながら中村先生のお名前の読み方すら存じ上げなかったけれども、穏やかな人柄で、柔和な表情と豊かな学識に裏付けられた平易な語り口に魅せられて、テレビの前で自然と正座をしながら、中村先生のお話を拝聴していた。
その後、世界的に著名な当代随一の学者であることを知った。私は、仏教を信じているわけではないが、分からないなりに先生の著作を読み始め、いずれ時間とお金ができたら東方学院に入学して謦咳(けいがい)に接したいと念願していた。
しかし、平成11年に86歳で天に召されたため、それが叶わず、残念でならない。無理してでも一歩を踏み出すべきだった。
他にも、Eテレには、大学の教養課程レベルの番組が多かった。例えば、「市民大学」や「人間大学」という番組名で、書物でしか知らない大学教授の講義を視聴できて、有意義だったことを覚えている。
もっとも、「市民大学」や「人間大学」も、他の番組と同様に、玉石混交であって、視聴して損をしたと猛烈に後悔した番組もある。例えば、当時、マスメディアがゴリ押ししていた網野善彦教授の「日本史再考」だ。
類は友を呼ぶで、宮崎駿氏は、網野教授に影響を受けて「もののけ姫」を制作し、対談まで行っている。
百姓の「姓」を①呉音でひゃく「しょう」と読むと、農民の意味になるのに対して、これを②漢音でひゃく「せい」と読むと、一般庶民の意味になる。このようなことは、江戸時代の寺子屋に通う貧しい庶民の子供でも知っていた常識だ。
というのは、例えば、寺子屋のテキスト『論語』にも、「百姓足、君孰與不足。百姓不足、君孰與足。」(『論語』顔淵第十二 9)、「脩己以安百姓。脩己以安百姓、堯舜其猶病諸。」(『論語』憲問第十四 45)という風に、百姓(ひゃくせい)が出てくるからだ。
我々日本人は、昔から「ひゃくしょう」と「ひゃくせい」をきちんと読み分け、使い分けてきたのだ。国語辞典にもきちんと書いてある。
ところが、網野教授は、百姓を「ひゃくせい」と読んで一般庶民を指すことを全くご存知なかったようで、まるで新発見したかのように得意げに語り、中国人留学生に訊いたら、百姓は、農民を指す言葉ではなく、普通の人を指す言葉だと嬉しそうに話した上で、なぜ日本人だけが百姓を農民だと思い込んでしまったのかが大問題であって、日本史を再考する必要があると力説しておられた。
この点に関して、網野教授が己の無知を公共の電波で世間に知らしめるのはご自由だが、国語辞典すら引かずに、国史学の先学のみならず、日本人すべてを己と同類に引き摺り込むなんて、馬鹿も休み休み言えと思った。「聖徳太子は日本人ではない」とか「日本という国号を変えることもできる」とか言いたい放題で、学説というよりもプロパガンダだなと思いながら我慢して視聴していたが、ついに視聴を止めてしまった。
「百姓」に関連して、私も、きっと受講者から「コイツは馬鹿な奴だ!」と思われているだろうなぁ〜と考えながら話していることがある。
農地改革だ。農地買収処分に民法第177条が適用されるかどうかや憲法第29条第3項の「正当な補償」とは何かについて、職員研修で最高裁判例に触れる際には、「GHQの占領政策の一環として行われた農地改革」という決まり文句を言うからだ。
言い訳がましくて恐縮だが、職員研修は、愚見を述べる場ではないから、通説に従って講義をしている。中学・高校では、農地改革は、GHQの占領政策の一環として行われたと教えられており、判例解説にも同様に記載されているから、私もこれに従ってかかる決まり文句を言っているけれども、実は、これは真っ赤な嘘なのだ。
当時のお百姓(ひゃくしょう)さんには、自分の田畑を所有する自作農(じさくのう)と、自分の田畑を所有せずに地主から田畑を借りて小作料を地主に支払う小作人(こさくにん)がいたが、小作人は、比較的貧しい生活をしていた(NHKの朝ドラ『おしん』は、山形の貧しい小作人の娘おしんが主人公だ。発展途上国を中心に世界的に大ヒットした。)。
そこで、国が地主から安い値段で農地を強制的に買い上げて(農地買収処分)、これを小作人に払い下げて、小作人を自作農にしたわけだ。これを農地改革という。農地調整法改正による第一次改革(未実施)、自作農創設特別措置法と改正農地調整法による第二次改革(通常、農地改革と言えば、この第二次改革を指す。)からなる。
ちょっと考えれば分かることだが、アメリカは、植民地時代から大地主が行う大規模農業だから、そもそも農地改革という名の「農地の細分化」なんて発想自体をするわけがないのだ。
GHQは、占領政策として財閥解体などの様々な改革を主導的に行なったが、唯一の例外として、日本が主導したのが農地改革なのだ。
かいつまんで述べると、農林省の赤い官僚たちの長年の悲願は、コミンテルンの32年テーゼに基づき地主制を解体して日本を弱体化させ、不平不満を増大させて社会を混乱の坩堝(るつぼ)に陥れ、革命へとつなげることだったが、戦前戦中には財界や地主の抵抗が強くて実現できなかったけれども、戦後のどさくさに紛れて、GHQ内の同志と通じて、GHQの威を借りて農地改革を実施したわけだ。
その影の立役者が和田博雄氏だ。和田氏は、熱烈な社会主義者で、後述するように、農林省官僚時に農地改革を実現させている。
その後、社会党との連立政権に失敗した吉田茂総理は、挙国一致を図るために、和田氏を第一次吉田内閣の農林大臣に据えた。社会党が第1党になった結果できた片山内閣時には、和田氏は、経済安定本部総務長官 、物価庁長官を務め、その後、社会党の要職を歴任した。
さて、幣原内閣時の和田氏は、農林省農政局長で、事前に何十通りもの農地改革の法律案を周到に準備し、自作農主義者であった松村謙三氏が農林大臣に就任してわずか4日で原案を完成させるだけでなく、国会上程は1か月(終戦からたった4か月)という異例のスピードだった。国会は、この見え透いた法案を廃案にしようとしたが、GHQから覚書が出された結果、国会を通過してしまった。
しかし、国が農地を直接買い上げるべきだとするGHQの意向を受けて、第一次改革は実施されることなく、より強力な第二次改革が実施されることになる。
以上述べたことは、私の勝手な想像ではない。ネットで直ぐに見られるものとしては、例えば、独立行政法人経済産業研究所の上席研究員山下一仁氏の「農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄」がある。山下氏は、農地改革及び和田氏に対して好意的な文脈において、同様のことを述べておられる。
皮肉なことだが、自作農になった小作人がその私有財産(田畑)を守るために、自民党の支持基盤になったことは、革命を夢見た赤い官僚たちにとっては想定外だったかも知れない。
ただ、農地改革の結果、小規模農家が主流となり、農業の大規模化・効率化が遅れ、農業分野の国際競争力や食料自給率が低下し続けているので、日本を憎悪する赤い官僚たちは、草葉の陰でほくそ笑んでいることだろう。
ちなみに、現在、「百姓」(ひゃくしょう)は、放送禁止用語だそうで、「農民」・「農家の人」・「お百姓さん」と呼び換えなければならないそうだ。
「GHQの占領政策の一環として行われた農地改革」という間違った学校教育だけでなく、このような言葉狩りもいい加減やめてほしいものだ。
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