12月13日の共同通信社の下記の記事によると、
「13日の参院予算委員会で、現行の夫婦同姓制度は日本古来の伝統であるかどうかが問われた。立憲民主党の田島麻衣子氏が、選択的夫婦別姓を導入すれば日本の伝統が損なわれるとする岩盤保守層の指摘を念頭に、質問した。法務省の竹内努民事局長は、夫婦同姓制度は江戸時代には存在せず、明治時代の民法制定により導入されたと答弁した」そうだ。
1 夫婦同氏制は、日本の伝統・慣習法である
なんなんだッ!? この茶番劇は!! 嘘八百も大概にしろ!!
法務大臣は、虚偽答弁をしたこの法務省民事局長を直ちに懲戒処分にすべきだ。以前このブログで述べたように、少なくとも江戸時代から慣習法上、夫婦同氏制が採られていたからだ。法務省も学者もマスコミも、こぞってデマを流布させている以上、大事なことなので、繰り返し述べるとしよう。
すなわち、民法起草者の一人である梅謙次郎先生は、その著『民法要義』巻之4(親族編)43頁で次のように述べておられる。
①行政上の慣習によれば、妻は実家の氏を称すべきものとせりといえども、これみだりに支那(シナ。Chinaの地理的呼称の意)の慣習を襲へる(受け継ぐことの意)ものにして我邦の家制の主義に適せず。
②また、実際の慣習にも戻(もと)る(そむくことの意)ところなり。
けだし、
①妻がその実家の氏を称するは、あたかもなお実家に属するの観をなし夫婦家を同じうするの主義に適せず。
②また、実際において何某妻誰と称し、大抵その実家の氏を称することなし。故に、従来の行政上においては、妻はその実家の氏を称すべきものとせるに拘(かか)わらず、一般に夫の氏を称するのみならず、公文においても夫の氏を称し、ために行政官吏がその訂正を命ずること多し。これ妻が実家の氏を称するの我邦の慣習に適せざる顕著なる証拠なり。なお、宮中においては、従来、妻は夫の氏を称すべきものとせり。
また、孫引きになるが、井上操の論文「法律編纂ノ可否」(『法政誌叢』103号、明治23年)には、「婦 其(その)夫ノ氏を称スルトイフガ如キハ古昔ノ例トハ異ナリ。古昔ハ婦ハ其(その)実家ノ氏ヲ称シタリ。然レドモ幕府以来実際ハ夫ノ氏ヲ称シ、現ニ今モ夫ノ氏ヲ称シ戸籍ノ如キモ別ニ実家ノ氏ヲ示サズ。故ニ習慣ニ悖(もと)リタルニアラズ。実際現行スル所ニ従ヒタルナリ」とある(星野通著『明治民法編纂史研究』ダイヤモンド社所収。402頁)。
なお、日本では、昔は部族を単位に運命共同体として戦をしていたが、少なくとも平安時代ぐらいから、家を単位に運命共同体として戦をするようになる。
例えば、保元元年(1156年)7月の保元の乱は、武士の台頭の文脈で語られているが、皇族も公家も武家も家単位で生き残り策を模索する時代の象徴的出来事でもあるのだ。
後白河天皇側は、 藤原忠通(関白)、源義朝(河内源氏)、 平清盛(伊勢平氏)、 源頼政(摂津源氏) 、源義康(河内源氏) 、源重成(美濃源氏) 、平信兼(伊勢平氏) 、信西(後白河傅人)だ。
崇徳上皇側は、 藤原頼長(藤氏長者)、源為義(河内源氏)、 源為朝(河内源氏) 、平忠正(伊勢平氏) 、平家弘(伊勢平氏)、 源頼憲(摂津源氏)だ。
このように家単位で敵味方に分かれて、親戚同士で戦をするようになったわけだ。このようなことが繰り返されることにより、漸進的に家制度が封建制度と相俟って慣習法として確立され、少なくとも江戸時代から夫婦同氏制という形に結実したのだ。
2 いわゆる「夫婦別姓」・「選択的夫婦別姓」論の由来
では、少なくとも江戸時代から夫婦同氏だったのに、どうして嘘をついてまで「夫婦別姓」・「選択的夫婦別姓」を認めろと主張されているのだろうか。
⑴ 日本の「氏」≠支那・朝鮮の「姓」
日本と西洋には、「氏」(家名・ファミリーネーム)と「家紋」がある。これに対し、支那(シナ。chinaの地理的呼称)と朝鮮(koreaの地理的呼称)には、「氏」(家名・ファミリーネーム)と「家紋」がない。換言すれば、日本と西洋には、「宗族」がないが、支那と朝鮮には、「宗族」がある。
戦争、自然災害、疫病、飢饉などの世間の荒波を乗り越えるための拠り所(運命共同体)が、日本と西洋では「家族」だったのに対して、支那と朝鮮では「宗族」(父と子の血縁関係に基づく父系集団)だったからだ。
社会の構成単位が、日本と西洋では「家族」なのに対して、支那と朝鮮では「宗族」なのだ。
「宗族」の詳しい説明については、以前述べたので、省略する。
このような違いから、名前の構造も、日本・西洋と支那・朝鮮とでは異なる。
①日本・西洋: 氏+名 <西洋では、文法上、順番が逆になる>
②支那・朝鮮: 本貫+(姓 +名)
日本では、その人が所属する「家の名称(家名・ファミリーネーム)」を「氏」といい、「氏+名」によって「個人」を識別する。少なくとも江戸時代から、ワンチームを作るため、妻は、夫の氏を称するようになり、戦後は、男女平等を図るため、夫婦は、夫又は妻の氏を選択して称することになった。
これに対して、支那・朝鮮では、宗族の始祖の発祥地を「本貫(ホンカン)」といい、「本貫+姓」によって「宗族」を識別するが(例えば、同じ姓であっても、本貫が異なれば、別の宗族なので、結婚できるが、本貫が同じであれば、結婚できない。宗族は、男女を問わず、一生不変であって、変更できない。例えば、韓国最大の宗族である金海金は、金海を本貫とする金姓の父系血族集団だ。)、社会生活上は、「姓+名」によって「個人」を識別する。
支那・朝鮮において、「父方の血統」を表す「姓」は、男女を問わず、一生不変であって、結婚によって姓が変わることが絶対にないため、夫婦別姓だ。妻は、生涯、他人扱いされ、妻の姓を子供に継承させることができず、子供は、父の姓を継ぐ。
日本の民法が採用しているのは、あくまでも「夫婦同氏」なのに(民法第750条)、「夫婦別氏」と呼ばずに「夫婦別姓」・「選択的夫婦別姓」と呼ぶのは、支那人・朝鮮人や支那系・朝鮮系帰化人が、支那・朝鮮に存在しない「氏」=「家の名称(家名・ファミリーネーム)」を理解できず、「氏」が支那・朝鮮の「姓」と同じだと誤解しているからにほかならない。夫婦別姓に異常にこだわり、夫婦同姓が嫌だからと事実婚を選ぶ人たちがいるのも、これが一因だ。
己の無知蒙昧(もうまい)を棚に上げて、「夫婦別姓・選択的夫婦別姓を認めろ!」、と大騒ぎし、多文化共生の名の下に、日本に対して自国文化を「強制」しているわけで、迷惑千万だ。
⑵ 共産主義化
もう一つの理由は、政治的な理由だ。これが主たる理由だ。
すなわち、治安の良さ・清潔さ・礼儀正しさ・日本食など、外国人観光客を魅了する日本社会・文化の要は、歴史に裏打ちされた「家」制度にある。
例えば、世界で創業100年以上の企業は、日本が半数以上を占め、創業200年以上の企業に至っては、65%以上が日本だ。
古来より日本では営業の自由が慣習法上保障されてきたこと、戦争、疫病、飢饉などの世間の荒波から個人を守る先人の智慧である「家」制度があり、婿養子による「家」の継承が認められていたことなどが大きな要因だ。
「家」があるからこそ、我々日本人は、自助では解決できない問題を家族が助け合って(互助)解決し、互助では解決できない問題については、隣近所の家同士が助け合って(共助)解決し、世間の荒波を乗り越え、生きてこられたのだ。また、「家」は、どこへ出しても恥ずかしくない一人前の大人に育て、老親や病人を養い、地域の伝統文化の継承を担ってきたのだ。
つまり、日本の共産主義化の障壁の一つが「家」なのだ。日本社会・文化の強みである「家」を破壊すれば、日本人が原子化されて、デュルケイムの言葉を借りれば、anomieアノミー(社会的規範が失われ、社会が乱れて無統制になった状態)になり、家畜として支配しやすくなる。
そのため、「家」制度を破壊したくて仕方ないのだが、歴史に裏打ちされ、日本文化の礎となっている「家」制度を直ちに破壊することは、困難だ。
そこで、共産主義者は、「家」の土台から徐々に壊すことを思い付いた。
すなわち、「家名・ファミリーネーム」である「氏」を夫婦が同じくする「夫婦同氏」制は、新たに夫婦になった男女が「家」を同じくして、ワンチームにする先人の智慧だ。夫婦の絆を強める制度が「夫婦同氏」制なのだ。「夫婦同氏」制を壊せば、夫婦の絆のみならず家族の絆を弱めることが可能になる。
そこで、まず、「家」の基礎である「夫婦同氏」制を破壊すべく、「夫婦別姓にしろ!」、と運動を展開した。
しかし、ほとんどの日本人がいわゆる夫婦別姓を望んでいないことを知って、方針を転換した。
すなわち、「夫婦同氏」制のせいで女性の社会進出・活躍が阻まれ、事実婚を強いられていると言い出して、「いわゆる選択的夫婦別姓を望む夫婦がいるならば、これを認めてあげてもよいではないか」、と世間の同情を買う戦術を採って、「選択的夫婦別姓を認めろ!」、と声高に叫ぶようになった。
注意を要するのは、仮にいわゆる選択的夫婦別姓を導入したとしても、共産主義者は、これで決して満足することなく、必ずや「夫婦別姓を導入しろ!」、と要求がエスカレートするだろう。
というのは、現行民法が採用している「夫婦同氏」制は、夫婦が夫又は妻の氏を「選択」する制度なのに、夫の氏を選択する夫婦がほとんどであることに鑑みて、「夫婦同氏」制は、「女性差別」だと主張している。仮にいわゆる選択的夫婦別姓を導入されたとしても、ほとんどの夫婦が夫婦同氏を選択すると予想される。とすれば、今なお「女性差別」が行われている以上、「支那・朝鮮を見習って、夫婦別姓を導入しろ!」、と主張するだろうからだ。
それ故、「夫婦同氏」制により事実婚を強いられている、と世間の同情を買おうと演技している活動家に騙されて、いわゆる選択的夫婦別姓を決して導入してはならない。
いわゆる夫婦別姓・選択的夫婦別姓は、日本共産主義化計画の第一段階にすぎない。
第二段階として、「一夫一婦制」という婚姻制度を破壊すべく、同時並行的に「同性婚を認めろ!」・「不倫は家庭内の問題にすぎない!」、と各地で運動が行われている。
第三段階が「家」・「家族」の破壊であって、無戸籍児の問題に託(かこ)つけて戸籍制度(人の出生から死亡に至るまでの親族関係を登録公証するもので、日本国民について編製され、日本国籍をも公証する唯一の制度)の廃止運動が同時並行的に行われている。
いわゆる夫婦別姓・選択的夫婦別姓が日本共産主義化の手段であることについても、以前このブログで述べた。
3 いわゆる選択的夫婦別姓の弊害
⑴ 「氏」の性格が変わる
いわゆる選択的夫婦別姓が導入された場合には、「同氏の夫婦」と「別氏の夫婦」に分かれることになる。そうすると、「氏」の性格が変わってしまう。
すなわち、「夫婦同氏」制の下においては、「氏」は、「家の名称(家族名・ファミリーネーム)」であった。
ところが、いわゆる選択的夫婦別姓が導入されると、「氏」は、「家の名称(家族名・ファミリーネーム)」の性格を失い、純粋に「個人を識別するための単なる記号」になってしまう。戸籍上、同氏の夫婦・家族であっても、たまたま各人の上の名前が共通しているにすぎないことになってしまうのだ。
つまり、いわゆる選択的夫婦別姓が導入されると、夫婦同氏を選択した人も含めて、すべての人が由緒ある「家の名称(家族名・ファミリーネーム)」を奪われることになるわけだ。
この段階まで来てしまえば、「氏」が個人を識別するための記号にすぎない以上、個人の自己決定権を根拠に、「各人が氏名を自由に名乗り変更できるようにせよ!」、と主張されるのも時間の問題だ。
各人が氏名を自由に名乗り変更できるようになれば、氏名自体の存在意義がほとんど失われるので、管理コストがかかる氏名はやがて廃止され、代わってマイナンバーが名前とされて、日本人は、家畜として管理されることになろう。
⑵ 強制的親子別氏が幼き心を傷つけ、離婚を容易にする
現行民法では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とされている(民法第750条)。つまり、婚姻により新たに夫婦になった男女は、夫又は妻の氏を選択する「夫婦同氏」制が採られているのだ。夫婦共通の「家の名称(家名・ファミリーネーム)」により夫婦の絆が強固になるわけだ。
そして、「嫡出である子は、父母の氏を称する」とされているので(民法第790条第1項本文)、「夫婦同氏」の元で生まれた子供も「親子同氏」になる。これにより家族の絆が強くなるわけだ。
ところが、いわゆる選択的夫婦別姓が導入された場合には、夫婦別氏なので、子供は、父又は母の氏を名乗ることになるが、生まれたばかりの子供が父又は母の氏を選択することは不可能なので、両親が定めたところに従って父又は母の氏を強制されることになる。「強制的親子別氏」制にならざるを得ないのだ。
ところで、現行の夫婦同氏制の下では、妻が夫の氏に改氏するのが圧倒的多数であり、同調圧力によって女性が差別されている。しかも、女性の社会進出に伴って、改氏による職業生活上や日常生活上の不便・不利益を女性だけが被っている。そこで、いわゆる選択的夫婦別姓を導入すべきだ、と主張されている。
しかし、改氏による職業生活上や日常生活上の不便・不利益は、引越しの際の住所変更の不便・不利益と大差はない。今では旧氏を通称として使用することが広く認められているので、その不利益は小さくなっている。※
それよりも、子供の気持ちを考えたらどうかと思う。自分が子供の立場になって想像してほしい。
夫婦別氏の元に生まれた子供は、強制的に父又は母と異なる氏になる。「なぜ自分は父又は母と氏が違うのだろうか?」、「自分は父又は母の連れ子なのだろうか?」、と幼い心を痛めることだろう。
改氏による職業生活上や日常生活上の不便・不利益は、我が子の心を傷つけてまで解消しなければならないほどのことなのだろうか。旧姓を名乗りたいという己のエゴを最も大切にすべき子供に押し付けているだけではなかろうか。
第一子の氏を父又は母のいずれの氏にすべきかをめぐって、夫婦間で争いが起きる可能性もある。
同様に第二子の氏をどうすべきかをめぐって夫婦喧嘩が起きることもあろう。それを間近で見る第一子の心は傷つくだろう。
第一子と第二子の氏が異なる場合には、第二子は「なぜ兄弟姉妹で氏が違うのだろうか?」と悩むだろうし、子供たち全員が同じ氏の場合には、「氏が異なる父又は母とは血が繋がっていないのだろうか?」と悩むことだろう。
18歳で成人になって、父又は母の氏を選択できるようにしたとしても、子供は思い悩み、家庭内で争いが起きる可能性がある。
国が家庭不和の種を蒔いてどうするのだ!
ところで、離婚が盛んな欧米では、my children、your children、our childrenが一つ屋根の下に暮らすことが珍しくなく、夫婦のエゴのせいで、赤の他人と擬似家族を演じさせられている。
このような状況であれば、家族の氏がバラバラであっても、誰もがそれを所与のものとして受け入れ、思い悩むことがほとんどないのかも知れないが、少なくともはっきりと言えることは、このような擬似家族は、子供の福祉にとって決して望ましいものではないということだ。欧米の青少年非行の多さがこれを物語っている。
日本の離婚率も少しずつ上昇しており、いわゆる選択的夫婦別姓は、離婚に伴う復氏の手間がかからないという意味で、離婚を容易にする。
このように考えると、「夫婦同氏」制は、夫婦の絆を強め、家族をワンチームにし、子供の福祉の増進に資するのに対して、いわゆる選択的夫婦別姓は、離婚を容易にし、強制的親子別氏により子供の心を傷つけ、家族を解体し、子供の福祉を損なうものだと言える。
※ この点、衆議院議員の稲田朋美氏は、婚姻する際に婚前氏(旧姓)の使用継続を届け出れば、戸籍にその旨を記し、公的にも使用できるようにする婚前氏続称制度を提唱している。戸籍上の「氏」は、夫婦同氏で、別氏ではない。子供の学校行事や町内会などは、「家の名称(家名・ファミリーネーム)」で、仕事は、婚前氏(旧姓)でと、使い分けられるように民法・戸籍法等を改正すべきだというわけだ。一つの妥協案としては、興味深い。
しかし、一度妥協してしまうと、これを突破口としていわゆる夫婦別姓へと雪崩を打って攻勢をかけるおそれがある。
そもそも婚前氏(旧姓)の使用継続を法律改正をしてまで認めるべき必要性がどれほどあるのか、疑問だ。
例えば、パスポートの名前は、どうするのか。プライベート用と仕事用の2種類のパスポートを発給するのか、といった実務上の問題も山積している。
石破総理は、自民党総裁選では「姓を選べず、つらい思いをし、不利益を受けることは解消しないといけない」と述べて、いわゆる選択的夫婦別姓を肯定する立場を鮮明にした。
そして、石破茂首相は、16日の参院予算委員会で、いわゆる選択的夫婦別姓の導入をめぐる自民党内の議論について、「総裁として明確な方向性を出したい」と述べた上で、「いつまでも引き延ばしてもいいという話にはならない」との認識を示した。
さらに、石破茂首相は、17日午前の参院予算委員会で、同性婚を認めることについて、「日本全体の幸福度にとって、肯定的なプラスの影響を与えるものだと考えている」と述べた。
短命内閣に終わる可能性がある石破総理としては、成果(実際には、鼬(いたち)の最後っ屁)として、又は来年度予算案を通すための政治的駆け引きの手段として、否、己の政治的イデオロギーのために、いわゆる選択的夫婦別姓を認める法案を閣法として提出するか、又は議員立法に賛成する形を採るかする可能性がある。
世も末だ。
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