かつてのマル経(マルクス経済学)の講義のように、今の大学でマルクスやエンゲルスがどうたらこうたらと講義をするイカれた教授は、ほぼ皆無だろうし、マルクスやエンゲルス等の著作を読む学生も、もの好きを除き、いないだろう。
しかし、だからといって左翼が死滅したわけではない。むしろ、より巧妙に素性を隠して、広範囲にわたって隠然たる力を持っている。
戦後、フランス左翼たるサルトル、フーコー、アルチュセール、デリダが流行ったことがあるが、アメリカにも根を張った知識人向けの隠れマルクス主義が日本の学界を支配しているのだ。
これがフランクフルト学派の思想だ。その影響は、マスコミ、政官財、教育、芸術等にも広範囲に及んでいる。否、支配されている、と言った方が適切だ。
大学で社会科学を学んだ者ならば、ルカーチ、ホルクハイマー、ノイマン、エーリッヒ・フロム、ライヒ、ベンヤミン、アドルノ、マルクーゼ、ハーバーマスなどの名前を見聞きしたことがあろう。この連中がフランクフルト学派だ。チョムスキー、サイード、ソンタークなども、フランクフルト学派の流れを汲む。
私が学生の頃は、最先端の左翼思想だったが、おそらく今ではこの連中の著作は、恐ろしいことに「古典」・「名著」として崇め奉られていることだろう。
フランクフルト学派の歴史は、古い。1923年、ドイツのフランクフルト大学に、マルクス主義者であるルカーチがマルクス研究所を設立した。これがフランクフルト学派の名の由来だ。ユダヤ人学者の多くは、大学で職を得るのが難しいため、ここへ集まった。
ルカーチは、ロシア革命がなぜ世界革命に昇華しないのかと悩み、ロシア以外で革命が成就しないのは、キリスト教精神とこれに基づく伝統が強固だからであり、これを破壊することなしには革命はあり得ないと考えた。
P・ブキャナンは、ルカーチについて、「『歴史と階級意識』でマルクスに比肩する思想家と認められたコミンテルン指導者。《社会を変える唯一無二の手段は革命による破壊》だと彼は言った。《古い価値の根絶と、革命による新しい価値の創造なくして世界共通の価値転覆は起こりえない》と。ベラ・クン体制で教育人民委員代理となったルカーチは自らの《天才的》アイデアを実践に移し、《文化テロリズム》をもたらした」と述べている(『病むアメリカ、滅びゆく西洋 』成甲書房)。これがフランクフルト学派の要諦だ。
ルカーチは、ハンガリー共産党のベラ・クン政権において教育文化相を務め、「過激な性教育制度を実施。ハンガリーの子供たちは学校で自由恋愛思想、セックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さ、人間の快楽をすべて奪おうとする宗教理念の浅はかさについて教わった。女性も当時の性道徳に反抗するよう呼びかけられた。こうした女性と子供の放縦路線は西洋文化の核である家族の崩壊を目的としていた」。これがブキャナンの言う「文化テロリズム」だ。
話を戻すと、このマルクス研究所がのちにユダヤ資本の援助を受けて社会研究所になり、ここから巣立った連中が戦後のナチス・ドイツ批判の流れに乗って、ドイツのみならずヨーロッパ全土やアメリカに渡って思想を普及させた。
そして、これがノーベル賞受賞者を数多く輩出しているマックス・プランク研究所の社会科学部門となった。ハーバーマスもこれに所属している。
フランクフルト学派の矛先は、社会・文化のあらゆる面に向けられており、その主張も多岐にわたるので、これを説明するのは、素人の私には荷が重すぎるのだが、強いて言えば、マルクス主義が下層の労働者階級をターゲットにした革命思想であるのに対して、フランクフルト学派は、今や社会で多数を占める中流階級をターゲットにした革命思想である点に特徴がある。
すなわち、マルクスは、フランス革命を模範として、抑圧された労働者が武装蜂起して、暴力革命によって政府を転覆させて、権力を掌握することを夢見た。
これに対して、フランクフルト学派は、ヨーロッパの労働者階級が中流階級になりつつあり、もはや暴力革命の担い手になり得ず、暴力革命による権力掌握が不可能だから、多数派となった中流階級をターゲットにして、既存の体制に支配されている・騙されている愚かな中流階級を知識人が前衛に立って導き啓蒙する必要があると考えた。
そして、既存の体制維持(現状維持)に都合が良いキリスト教精神やこれに基づく伝統こそが革命の妨げになっていると考え、革命の妨げとなるキリスト教精神やこれに基づく伝統を捨てさせるため、体制内に入り込んで、体制否定・体制批判の言説を繰り返して、社会を根底から内部崩壊させる方法を採るべきだと考え、これを実践した。
平たく言えば、これがホルクハイマーなどが主張したcritical theoryクリティカル・セオリー「批判理論」と呼ばれるものの真髄だ。
「クリティカル・シンキング」、「クリティカル・メイキング」、「クリティカル・デザイン」などのカタカタ用語を見聞きしたことがあろうが、これらはすべて「批判理論」の派生概念にすぎない。
フランクフルト学派のホルクハイマー、アドルノ、フロム、ライヒ、ベンヤミンなどは、みなユダヤ人だ。全てを破壊したところで新たな創造が始まるというユダヤ的なメシア思想(救世主の出現を待望する考え方。虐げられた奴隷の願望・妄想だ。)が背景にある。
この連中は、頭がイカれている。全知全能の神ならぬ人間は、未来を知ることができない。全てを破壊して世の中が良くなり、皆が幸せになる確証がないからだ。
先人たちが試行錯誤しながら、自然発生的に形成してきた伝統・慣習等の自生的秩序は、幾多の実地の試練に耐えた先人たちの叡智であり、これに敬意を払って従い、後世へ継承しつつ、現状にマッチしない部分については、漸進的に改めていくのが自由を保障する上で最も望ましいのだ。
すべてをぶっ壊して作り直せ!という幼稚な考え方に夢中になっているフランクフルト学派の乏しい知性の持ち主には、到底理解できまいが、エドマンド・バーク流の保守主義(=真正の自由主義)こそが社会に大混乱を招かずに穏健に品位を保って改善と自由を両立させ得る大人の考え方なのだ。
マルクスは、人間が作ったもの(制度など)が逆に人間を支配し、人間の本質を喪失させる「疎外」に着目したが、フランクフルト学派も、疎外を重視し、社会からの疎外をなくすために、社会や文化を全否定する。
すなわち、キリスト教、伝統、道徳、資本主義、愛国心、忠誠心、一夫一婦制・家族制、権威など、社会や文化のあらゆる要素を全否定するのだ。これが狂ったカルト宗教でなくてなんだというのだろう。
フランクフルト学派は、マルクス主義用語を用いずに言葉を言い換えて、鮮やかに社会や文化の中に潜む矛盾を顕在化させて批判するので、一見すると説得力があるように思われ、批判能力に乏しく、かつ、正義感の強い学生たちは見事に洗脳されるのだが、その真の狙いが社会や文化を内部崩壊させる革命思想であることには気付かない。
これに気付き、フランクフルト学派に帰依した者は、仲間に受け入れられ、研究者・ジャーナリスト・文学者・芸術家・政治家・教師などと呼ばれる宣教師になって、破壊工作に従事する。
全知全能の神にあらざる人間がつくった社会や文化が完璧であるはずもなく、矛盾を抱えていることは、当たり前なのに、矛盾があるからダメだとして全否定するやり口は、ジャーナリズムや野党が好んで用いる手法だが、これがまさに最も単純なレベルの批判理論だ。
しかも、これを体制外から行うのではなく、体制内で繰り返し行い、体制を内部から破壊せんとするから、本当にタチが悪い。
欧米は、なんだかんだ言いながらもキリスト教が強固に根付いており、厳格な階級社会だからこそ、その反動として革命理論に惹かれる者が後を絶たないのだが、このような文化的背景がなく、「一億総中流」と呼ばれて久しい日本にこれを持ち込むので、本家の欧米以上に劇薬として作用することがある。
日本で行われているフェミニズム、ジェンダー論、LGBTQ、過激な性教育論、ポリティカル・コレクトネス、多文化共生、SDGs、反戦・反核運動、反基地闘争、平和教育、男女共同参画、環境保護運動、選択的夫婦別姓論、戸籍制度廃止論、同性婚肯定論、女性宮家創設論、女性天皇・女系天皇容認論、厳格な政教分離論、パワハラ等のハラスメント否定論、褒めて育てる教育論などに通底しているのが狂気のフランクフルト学派なのだ。
伝統的な価値観、道徳、制度、文化等を否定する言説を繰り返している連中は、フランクフルト学派の洗礼を受けていると思って、ほぼ間違いない。ゆめゆめ騙されることなかれ。
0コメント